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2011年2月4日金曜日

タラルとワリード

タラルはワリードを知っています。日本人らが常宿としているホテルにさっそうと現れるワリードを見て、「いつかあんな風になってみたいものだ」と話していました。今は無念赤貧のワリードです。
当時のワリードは大手テレビからフリーランスのカメラマンにまで引く手あまたの忙しさで猛烈に稼いでいました。それに見合うだけの下積みの苦労がありました。
タラルはまだ見習い中のようなもので格段にギャラの安いNGOのお手伝いとか戦争見物に来た学生のガイドとかいう感じでした。
翌年日本人誘拐に巻き込まれることになります。
それで懲りたかどうか仕事をしたくてもその頃から大手マスコミ以外の日本人がイラク入りするのはほぼ不可能になりました。さらにミリシアから処刑宣告を受け逃げ回るというところは哀れワリードと同じ運命なのでした。
サドル派ミリシアが解散しタラルは家族のもとに帰ることができるようになりました。
今回のタラルのことでワリードに相談しています。たぶんイラクでは珍しくない話だと思っているでしょう。
「マフディ軍は忘れない、メンバーはいつまでも覚えている」
ワリードはマフディ軍に追われバグダッドから逃れたのです。
「マフディ軍復活の気配がある」とも言います。
タラルのタクシードライバーという仕事も危ないと言えるでしょう。

今日ワリードは無事ですが明日もそうだとは限りません。

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