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2011年2月26日土曜日

手記50:あと45日?

翌日の取調官はまだ若く、腕にはshell of bullet(意味不明)と硝煙の刺青をしていました。いくつかの質問のあとわたしにタバコをくれました。メンソールだったと覚えています。
「あなたの経験からしてわたしの釈放の見込みはありますか?」わたしは聞いてみました。
「自分はその担当ではないのではっきり言えないがもし釈放されるとしても最低45日はかかるだろう」そう答えた彼は親切な男でした。わたしは英語が話せましたし、事情を聞いてもらうことができました。
「ましな部屋を用意しよう。しかしこんな話をしたことは誰にも話さないほうがいい。ねたまれてレイプされる。悪ければ殺される」
さらに日本との関係があることも話さないようにと忠告されました。あの中には殺人者もテロリストもいると言うのす。

わたしは雑居房に戻ってから考えてみました。45日間はたいへんに長い。長すぎます。わたしが請け負っていた取材の仕事は始まっていて日本からの取材班はバグダッドに来ているはずです。この刑務所でいくら気をもんでも、いくら抗議してもまったく無駄だったでしょうけれど。

取り調べなどで房を出されるときは頭からすっぽり目隠しをされ手錠もかせられます。兵士が悪党な奴だとチェーンで引っ張り廻します。
「犬のクソのケツの穴のち○カス野郎のdoosh back(意味不明) ……etc」と耳元に口をつけて罵詈雑言を浴びせます。
そして脅し文句は「いつでもテイザー&ペッパーをお見舞いしてやるぞ」です。
ここで何が起きているか、何を言われているか誰が知るでしょう。わたしたちは5メートルもある高い塀に囲われています。外に出るには護衛が守る橋があります。誰も逃れることができません。ここでは黄色い囚人服を着せられました。このいまいましい世界がわたしの生きる現実になったのです。


*仮訳中です
*管理人の解釈ですが起訴になるか不起訴になるかの手続きまで45日かかる、ということなのではと思います。
*ワリードは日本のメディアがワリードの逮捕を知って何らかのアクションをするものと期待していたはずです。ワリードのアシスタント役のイラク人が、ワリードが約束の日になっても現れないために家族に連絡をとり、事情を把握し日本のメディアに知らせています。
日本はアメリカの友好国です。自分はそこらのイラク人とは違うと考えていたかもしれません。その期待ははずれて刑務所を転々としてさらに2年を過ごすのでした。

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