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2010年3月13日土曜日

ワリード プロフィール

ワリード・ホマディ 
1969年農村で生まれバグダッドで育ちます。
モースル大学工学部卒業。軍役後技術者として数年間貿易省、住宅省に勤務。

1993年バグダッド郊外で救援活動中の日本人に偶然出会い、道案内をしたことからイラクの子どもたちへの支援を手伝うようになります。フセイン政権下での外国人は行動を制限されており活動は困難でしたが、ワリードの粘り強い交渉と機転により日本からのNGOの活動には欠かせない存在になっていきます。その後ジャーナリストらの通訳・コーディネイトにも活躍の場を広げ劣化ウラン弾被害の報道にも貢献します。
2003年のイラク戦争でも日本メディアに協力し戦火の状況を伝えました。
戦争でイラク共和国は崩壊しましたがワリードは引き続き日本からのNGO、ジャーナリストを受け入れます。
2005年自衛隊がサマワに駐留したことにより日本のメディアのサマワ常駐スタッフになります。2006年夏のサマワ撤退までワリードはサマワでのリポートを送り続けました。

ワリードは戦前・戦中・戦後と一貫して日本の個人と組織とつきあってきた数少ないイラク人でしょう。彼の目と耳を通しての言葉は彼の名前は出なくともジャーナリスト、NGOスタッフの声、リポートとして日本に届いています。
サマワでの日本メディアへの献身はワリードを危険に追いやりました。
外国への協力を理由に宗教武装グループから処刑宣告を受け家族までも脅されます。バグダッドの家を奪われ故郷の村に退いたもののそこは宗派間対立の戦場でした。
2008年2月25日深夜、アメリカ軍部隊がワリードの村に押し入りワリードと兄弟二人を逮捕します。
米軍の容赦ない取り調べを受けますがワリードには逮捕される理由がありません。取り調べの矛先は日本のメディアとの協力に向けられます。
罪をでっちあげられたワリードは2年間服役することになります。
兄を殺され両親を亡くしたばかりだった弟(当時17才)はワリードらの身代わりになり10年の刑期を言い渡され今も服役中です。イラクでは多くのひとが理由もなく逮捕されています。
ワリードは昨年2月苛烈な刑務所から生還しました。
イラクに関する報道が減っています。日本人は関心がなくなればイラクに行かないだけですみます。イラク人は危険でも安全でもイラクに居続けるしかできません。
ワリードは厳しい現実に翻弄される多くのイラク人のうちのひとりかもしれませんが、イラクと日本を友人として繋いできたワリードの言葉に耳を傾けてみてください。

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 ワリードは2016年8月、イラクから長男を連れて脱出しました。
現在はフィンランドの難民施設に滞在しています。

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