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2010年9月3日金曜日

手記2:日本人との出会い

1993年のことでした。当時まだ兵役中で勤務の合間、小都市ヒッラでの商店街で買い物をしていました。おおくの人だかりの中になにやらアジア人らしき女性の姿が見えました。その女性は何かを訴えているのですがアラビア語をしゃべれない様子でした。周囲の人々も彼女の言葉を理解できません。当時のイラクは湾岸戦争の直後で世界中からつまはじきされており外国人がたいへん珍しかったのです。しかもアジア人であり女性でした。わたしも好奇心にかられ英語で話しかけていました。彼女は英語で呼びかけられたことで安心した表情を浮かべたように見えました。
バスでバグダッドに戻りたいとのこと、そして日本から来たということがわかりました。なんということでしょう。首都バグダッドでさえもめったに会ったことのない外国人なのに地方のヒッラでしかも日本人に会うとは!
その頃のイラクは貧しいけれど安全でした。バグダッド行きのバスを待つまでにその日本女性はわたしに名刺をくれました。それまで名刺などもらったことがありません。自分でも名刺を持っておらず彼女のノートに自分の名前と連絡先を書きました。
アラブのこどもとなかよくする会という東京のNGOに所属する伊藤さんは91年からイラクの子どもたちへの医療支援や文化交流をしていました。
わたしはちょうどそのころ軍役が終わりかけていたころであり、機会があれば活動の協力もできそうでした。まずはパートタイムのドライバーとして、そしてアラビア語通訳として会の活動を手伝うことから始まりました。

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