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2010年9月6日月曜日

手記11:バグダッド脱出

荷物をSUVに積み込み最後に子どもたちをのせるとすぐに床に寝そべらせました。そして冬の早朝のバグダッドの街へクルマを走らせました。両親の家はすぐ近くで父だけがわたしたちの出発を見つめていました。
幸いにもその日は朝靄で薄暗く、監視がいてもわたしのクルマを見分けるのは難しかったでしょう。
わたしは銃を用意していました。当時のイラクでは誰もが武装していましたが、ミリシア(民兵)を動員しての本格的な宗派間戦争にちっぽけなピストルが役に立つとは思えませんでした。それでも家族を守るために弾丸をこめました。
目的地まではふつうなら3時間で行けましたがこの日は満載した荷物に悪天候のため最大限の安全運転で6時間かかりました。
妻はシリアの国境と検問が見えてくるのを予想していました。数時間後に出むかえたのは「サマワ市」の案内標識でした。その時に至るまでわたしは妻にサマワ行きを知らせていませんでした。
妻はようやくわたしの計画に気がつきました。もし妻に話していたら妻の口から妻の親族に伝わったことでしょう。その先どこまで話がもれるかわかりません。どうしても秘密にしておかなければならなかったのです。


管理人補足:イラクは戦争前は銃の所持は許可されていました。戦後は政府が崩壊、無法な世界を生きるため市民は自衛のため武装しました。軍の武器庫からの大量流出もあったといいます。2003年に道ばたで自動小銃が100ドル、ピストルが150ドル程度で売っていました。ワリードの家、彼の部屋でピストルを見せられたことがあります。持ち歩いたりしないのか?と聞いたところ「持っていると使おうとする。かえってそのほうが危険だから自分は持ち出さない」と話していました。ワリードを含めほとんどのイラク成年男性は軍での武器操作の経験があります。武器の怖さをよく知っているのだと思います。

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