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2010年9月5日日曜日

手記10:両親との別離

シリアへの脱出を決め準備を始めました。
その頃すでに多くの家族がバグダッドから脱出を試みていましたが、かなりの人数が市内を抜け出すところで殺害されていたのです。脱出には幸運も必要でした。
ところが両親までも脅迫を受けてしまったのです。
これは一族にとっても戦争でした。わたしたちは戦争をやり過ごし戦争から生き延びねばならないと決意しました。
病弱な母にはわたしたちのプランを告げずに夕食に招きました。わたしたちが家族から離れることを知った場合母はおそらく悲しみにくれるでしょう。そして親戚や隣人に黙っていることは出来ないはずでした。計画は誰にも知られてはならなかったのです。
わたしは家族のそろって写る何枚もの写真を撮りました。

わたしと妻は両親が帰るのを待ち脱出の準備を進めました。当時バグダッドでは夜間の戒厳令で、外出が許される朝の5時まで6時間しかありませんでした。それまでにで全ての荷造りを済ませました。父は同行したいと行ってきましたがわたしは断りました。二人同時に失うよりは一人だけのほうがまだましでしょう。
かわりに父に頼みました。「わたしが殺されたら子どもたちを頼みます」
わたしは死を覚悟していました。しかしせめて家族のいる家では殺されたくはなかったのです。

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