石油食糧交換プログラムが97年から始まりました。
しかしこのプログラムはイラク人のためではなかったようです。それまで産油国イラクの石油は原則輸出できませんでした。このプログラムにより部分的に解除されイラクは7年間で640億ドルという現金を手にします。人道支援物資として使われるという名目でしたがそれだけの巨額な金額ともなると腐敗はおきるもので国連幹部へのワイロ、そして結果的にフセイン一族に環流します。当時そんなことを知る由もなく上記情報は数年前に放送されたNHKのBSドキュメンタリーで知ったわけです。
15年前の記憶はあいまいですが配給は月に一回、公民館というか集会場のようなところで配られていました。小麦粉や米などの主食、塩、砂糖、食用油に石けんなどで肉・魚はなかったように思います。
ガソリンだけは戦前同様安くイラク人は死なない程度には生きていけるようになりました。
しかし医薬品は以前禁輸品に含まれイラクの患者には届かない状況でした。にも関わらずイラク保健省は97年、外国NGOからの医薬品の受け取りを禁止してしまうのです。
いまだにその理由がわかりません。
アメリカCIAが支援団体を偽装してイラク入りした。
期限切れの粉ミルクが大量に届いた。
HIVに感染した血液製剤がフランスから(誤って)届いた。
などとも聞いたことがあります。
2011年1月27日木曜日
2011年1月24日月曜日
メモ:湾岸戦争と市民運動
18年前にワリードは日本の市民運動と出会い湾岸戦争の被害者救援活動を手伝うことになりました。
救援活動のきっかけは20年前の湾岸戦争(1991年1月17日ー3月3日)でした。当時クウェートに侵攻したイラクへの風当たりは相当強くおそらく一部の市民だけが立ち上がり行動を起こしたように見えました。それがPAN(ペルシャ湾のいのちを守る地球市民行動ネットワーク)というグループでした。
PANは湾岸戦争に反対し被災者を救援するという目的で91年1月30日に結成されました。影響を与えたのはGPT(ガルフピースチーム)、日本山妙法寺の寺沢上人らでした。ワリードの友人でもあるアメリカ人キャシー・ケリーはGPTのメンバーでもありその後はクリスチャン中心の平和団体「荒野の声voices in the wilderness」を設立しイラク戦争中も現地に留まりました。その活動が評価されキャシーと荒野の声はその年のノーベル平和賞にノミネートされました。キャシーは3度目の平和賞ノミネートでした。
救援活動のきっかけは20年前の湾岸戦争(1991年1月17日ー3月3日)でした。当時クウェートに侵攻したイラクへの風当たりは相当強くおそらく一部の市民だけが立ち上がり行動を起こしたように見えました。それがPAN(ペルシャ湾のいのちを守る地球市民行動ネットワーク)というグループでした。
PANは湾岸戦争に反対し被災者を救援するという目的で91年1月30日に結成されました。影響を与えたのはGPT(ガルフピースチーム)、日本山妙法寺の寺沢上人らでした。ワリードの友人でもあるアメリカ人キャシー・ケリーはGPTのメンバーでもありその後はクリスチャン中心の平和団体「荒野の声voices in the wilderness」を設立しイラク戦争中も現地に留まりました。その活動が評価されキャシーと荒野の声はその年のノーベル平和賞にノミネートされました。キャシーは3度目の平和賞ノミネートでした。
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メモ
2010年9月6日月曜日
メモ:陸自への自爆攻撃警告
参考資料として当時の報道を貼ります。オリジナルリンクはもう切れていますのでご了承ください。当時ワリードと数週間連絡が取れず、この報道もあり焦ったことを思い出しました。
2005年11月21日、共同通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051021-00000272-kyodo-int
陸自への自爆攻撃警告 サマワでサドル師派
【サマワ21日共同】陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワでイスラム教シーア派の反米指導者サドル師派の代表を務めるムハンナド・ガラウィ師は21日の金曜礼拝で、「友好と称してイラク人と関係を持とうとする日本人にはわたし自身が自爆攻撃する」と警告した。
サドル師派は、以前から陸自を「占領軍」とみなし撤退を訴えていたが、これまでにない強い表現で敵意をあらわにし陸自撤退を要求、イラク人が日本人と友好関係を持つことも禁じた。
(共同通信) - 10月21日22時21分更新
陸自への自爆攻撃警告サマワでサドル師派
【サマワ21日共同】陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワでイスラム教シーア派の反米指導者サドル師派の代表を務めるムハンナド・ガラウィ師は21日の金曜礼拝で、「友好と称してイラク人と関係を持とうとする日本人にはわたし自身が自爆攻撃する」と警告した。
サドル師派は、以前から陸自を「占領軍」とみなし撤退を訴えていたが、これまでにない強い表現で敵意をあらわにし陸自撤退を要求、イラク人が日本人と友好関係を持つことも禁じた。
ガラウィ師は集まった数百人の支持者に対し、「日本人の友達がいるといって、自宅に招こうとすることは禁止する」と訓示。「占領軍のメンバーと取引し、友達だといって彼らを自宅に招くやつを数え上げろ」と呼び掛けた。
サマワでは7月、日本友好協会会長だったアンマル・ヒデル氏が、多数のサドル師派を含むデモ隊の一部に「日本人との付き合いをやめなければ店を爆破し、おまえを殺す」と脅迫を受けた後、経営する宝飾店が爆破されていた。事件を受け、協会も解散した。
*管理人補足:アンマル・ヒデル氏が自分の店のあるアーケードに「ようこそ」という横断幕を掲げたのは2003年12月のことでした。宝飾店主で協会の会長というとあるイメージが喚起されますが実際の店は3人も入ると動くスペースもない狭い極小の店で、彼自身は単純な善意で横断幕を作ったのではと思います。
2005年11月21日、共同通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051021-00000272-kyodo-int
陸自への自爆攻撃警告 サマワでサドル師派
【サマワ21日共同】陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワでイスラム教シーア派の反米指導者サドル師派の代表を務めるムハンナド・ガラウィ師は21日の金曜礼拝で、「友好と称してイラク人と関係を持とうとする日本人にはわたし自身が自爆攻撃する」と警告した。
サドル師派は、以前から陸自を「占領軍」とみなし撤退を訴えていたが、これまでにない強い表現で敵意をあらわにし陸自撤退を要求、イラク人が日本人と友好関係を持つことも禁じた。
(共同通信) - 10月21日22時21分更新
陸自への自爆攻撃警告サマワでサドル師派
【サマワ21日共同】陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワでイスラム教シーア派の反米指導者サドル師派の代表を務めるムハンナド・ガラウィ師は21日の金曜礼拝で、「友好と称してイラク人と関係を持とうとする日本人にはわたし自身が自爆攻撃する」と警告した。
サドル師派は、以前から陸自を「占領軍」とみなし撤退を訴えていたが、これまでにない強い表現で敵意をあらわにし陸自撤退を要求、イラク人が日本人と友好関係を持つことも禁じた。
ガラウィ師は集まった数百人の支持者に対し、「日本人の友達がいるといって、自宅に招こうとすることは禁止する」と訓示。「占領軍のメンバーと取引し、友達だといって彼らを自宅に招くやつを数え上げろ」と呼び掛けた。
サマワでは7月、日本友好協会会長だったアンマル・ヒデル氏が、多数のサドル師派を含むデモ隊の一部に「日本人との付き合いをやめなければ店を爆破し、おまえを殺す」と脅迫を受けた後、経営する宝飾店が爆破されていた。事件を受け、協会も解散した。
*管理人補足:アンマル・ヒデル氏が自分の店のあるアーケードに「ようこそ」という横断幕を掲げたのは2003年12月のことでした。宝飾店主で協会の会長というとあるイメージが喚起されますが実際の店は3人も入ると動くスペースもない狭い極小の店で、彼自身は単純な善意で横断幕を作ったのではと思います。
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メモ
2010年3月13日土曜日
ワリード プロフィール
ワリード・ホマディ
1969年農村で生まれバグダッドで育ちます。
モースル大学工学部卒業。軍役後技術者として数年間貿易省、住宅省に勤務。
1993年バグダッド郊外で救援活動中の日本人に偶然出会い、道案内をしたことからイラクの子どもたちへの支援を手伝うようになります。フセイン政権下での外国人は行動を制限されており活動は困難でしたが、ワリードの粘り強い交渉と機転により日本からのNGOの活動には欠かせない存在になっていきます。その後ジャーナリストらの通訳・コーディネイトにも活躍の場を広げ劣化ウラン弾被害の報道にも貢献します。
2003年のイラク戦争でも日本メディアに協力し戦火の状況を伝えました。
戦争でイラク共和国は崩壊しましたがワリードは引き続き日本からのNGO、ジャーナリストを受け入れます。
2005年自衛隊がサマワに駐留したことにより日本のメディアのサマワ常駐スタッフになります。2006年夏のサマワ撤退までワリードはサマワでのリポートを送り続けました。
ワリードは戦前・戦中・戦後と一貫して日本の個人と組織とつきあってきた数少ないイラク人でしょう。彼の目と耳を通しての言葉は彼の名前は出なくともジャーナリスト、NGOスタッフの声、リポートとして日本に届いています。
サマワでの日本メディアへの献身はワリードを危険に追いやりました。
外国への協力を理由に宗教武装グループから処刑宣告を受け家族までも脅されます。バグダッドの家を奪われ故郷の村に退いたもののそこは宗派間対立の戦場でした。
2008年2月25日深夜、アメリカ軍部隊がワリードの村に押し入りワリードと兄弟二人を逮捕します。
米軍の容赦ない取り調べを受けますがワリードには逮捕される理由がありません。取り調べの矛先は日本のメディアとの協力に向けられます。
罪をでっちあげられたワリードは2年間服役することになります。
兄を殺され両親を亡くしたばかりだった弟(当時17才)はワリードらの身代わりになり10年の刑期を言い渡され今も服役中です。イラクでは多くのひとが理由もなく逮捕されています。
ワリードは昨年2月苛烈な刑務所から生還しました。
イラクに関する報道が減っています。日本人は関心がなくなればイラクに行かないだけですみます。イラク人は危険でも安全でもイラクに居続けるしかできません。
ワリードは厳しい現実に翻弄される多くのイラク人のうちのひとりかもしれませんが、イラクと日本を友人として繋いできたワリードの言葉に耳を傾けてみてください。
_________________________________________________________________________
ワリードは2016年8月、イラクから長男を連れて脱出しました。
現在はフィンランドの難民施設に滞在しています。
1969年農村で生まれバグダッドで育ちます。
モースル大学工学部卒業。軍役後技術者として数年間貿易省、住宅省に勤務。
1993年バグダッド郊外で救援活動中の日本人に偶然出会い、道案内をしたことからイラクの子どもたちへの支援を手伝うようになります。フセイン政権下での外国人は行動を制限されており活動は困難でしたが、ワリードの粘り強い交渉と機転により日本からのNGOの活動には欠かせない存在になっていきます。その後ジャーナリストらの通訳・コーディネイトにも活躍の場を広げ劣化ウラン弾被害の報道にも貢献します。
2003年のイラク戦争でも日本メディアに協力し戦火の状況を伝えました。
戦争でイラク共和国は崩壊しましたがワリードは引き続き日本からのNGO、ジャーナリストを受け入れます。
2005年自衛隊がサマワに駐留したことにより日本のメディアのサマワ常駐スタッフになります。2006年夏のサマワ撤退までワリードはサマワでのリポートを送り続けました。
ワリードは戦前・戦中・戦後と一貫して日本の個人と組織とつきあってきた数少ないイラク人でしょう。彼の目と耳を通しての言葉は彼の名前は出なくともジャーナリスト、NGOスタッフの声、リポートとして日本に届いています。
サマワでの日本メディアへの献身はワリードを危険に追いやりました。
外国への協力を理由に宗教武装グループから処刑宣告を受け家族までも脅されます。バグダッドの家を奪われ故郷の村に退いたもののそこは宗派間対立の戦場でした。
2008年2月25日深夜、アメリカ軍部隊がワリードの村に押し入りワリードと兄弟二人を逮捕します。
米軍の容赦ない取り調べを受けますがワリードには逮捕される理由がありません。取り調べの矛先は日本のメディアとの協力に向けられます。
罪をでっちあげられたワリードは2年間服役することになります。
兄を殺され両親を亡くしたばかりだった弟(当時17才)はワリードらの身代わりになり10年の刑期を言い渡され今も服役中です。イラクでは多くのひとが理由もなく逮捕されています。
ワリードは昨年2月苛烈な刑務所から生還しました。
イラクに関する報道が減っています。日本人は関心がなくなればイラクに行かないだけですみます。イラク人は危険でも安全でもイラクに居続けるしかできません。
ワリードは厳しい現実に翻弄される多くのイラク人のうちのひとりかもしれませんが、イラクと日本を友人として繋いできたワリードの言葉に耳を傾けてみてください。
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ワリードは2016年8月、イラクから長男を連れて脱出しました。
現在はフィンランドの難民施設に滞在しています。
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