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2010年9月4日土曜日

手記4:マスコミへの協力。そしてサマワへ。

イラク政府は2002年に一部外国人旅行を解禁しました。
生活のためパートタイムで旅行ガイドとして働き始めました。
しかしその年の終わり頃からアメリカがイラクに難癖をつけてきました。その頃のことはみなさんもご存じと思います。
もちろん半年以上に及ぶ国連の査察でも大量破壊兵器は見つかりませんでした。しかしアメリカはイラクの周辺国に部隊を配備しイラクは包囲されるようになっていました。観光の仕事などはなくなりガイドとしての仕事は2003年1月まででした。
一方で戦争取材のマスコミは押し寄せるようになりました。わたしは通訳として日本テレビに雇われました。
わたしがあの戦争から生き延びられたのは奇跡のようなことだと思いました。4月8日昼取材班が滞在し拠点となっていたバグダッド市内の高級ホテルが米軍により攻撃されたのです。まさに隣の部屋が砲撃されジャーナリストらの死傷者が出ました。すぐさま駆けつけたのですが室内はむごたらしい状況でした。
4月20日、バグダッドは静かになりました。米軍はイラクを占領し続けました。
その年の暮れ、自衛隊がイラクに派遣されることが決定し、日本のテレビ局からはサマワに行くようにとの電話がはいりました。

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