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2010年9月11日土曜日

手記22:苦しい決断

眠れない夜が一週間つづきました。米軍で働くことが親族に知られでもしたらたいへんな恥でした。しかしクルマを売って工面したカネもほどなく使い果たすでしょう。自分自身に言い聞かせました。「せめて侵略されたイラク人家族のために働こう、米兵がほんとうにイラク人を助けに来たのかどうか見てやろう」
米軍で働けば自衛のための武装も許され二年間働けばアメリカへの移民も可能かもしれません。しかし暗殺集団につかまればヒツジのように首を切られ処刑されるでしょう。やはり自殺行為か、、。
わたしは答えを先延ばしにしていました。
クルマは不調で故障しがちでした。バッテリがあがっていましたが買うカネがありませんでした。子どもたちの誰かが熱を出しても、クスリもないような村の病院ではなくキチンとした私立病院に連れて行くことはできないでしょう。事実はあきらかできれい事では生きていけません。覚悟を決めました。生き延びるためにカネが必要でした。

2008年1月から基地内で電気製品ショップの店員として働きはじめました。兵隊の手先となって外の作戦に同行する通訳よりはましな仕事でした。

1 件のコメント:

  1. 「羊のように首を切られ処刑されるでしょう」の原文は will be killed as sheep でした。羊のように殺される、と言われても羊の殺されかたは知りません。イラクでは町外れの道ばたでよく羊が柵かなにかに繋がれいています。クルマを止めて持ち主の農民と交渉して買って帰るわけです。しかし生きたままをクルマのトランクに入れるわけにもいきません。それでその場で処分するわけです。まさに手際のよい早業です。日本人には直視できないのではと思います。

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