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2010年9月5日日曜日

手記7:家族に届いた脅迫状

2006年、引き続きサマワに駐在し自衛隊の活動を追っていました。家に帰るのはほぼ2週間おきでした。四番目の子どもが生まれたばかりで家族に会うのは楽しみでした。
1月の中ごろでした。父から連絡がありました。
「たいへんなことが起きたが家には帰ってはいけない」
いったいどういうことでしょう?父が言うには家族は無事だといいます。「バグダッドに戻っても家には近づいてはいけない」それ以上のことは電話では聞き出せませんでした。
サマワからバグダッドまではおよそ300キロ離れています。たいへん気をもみながらクルマを走らせ日没の2時間前にバグダッドに着きました。来るなと言われても行かないわけにいきません。子どもたちに妻に会わないではいられませんでした。
わたしは家族と会うための計画をたてました。
父や兄弟とは別に隣町に家を借りて住んでいましたが自分の家には立ち寄りませんでした。父との電話では子どもたちはすでにわたしの家から両親の家に連れて行かれ安全だということでした。同時にその受話器ごしに聞こえてきたのは「ワリードを家に入れないで!」という家族たちのおびえた声でした。
その頃すでにイラク中で多くの人々が理由もなく殺されていました。自分個人の関係でも善良な友人らが40人以上も殺されていました。
あたりが暗くなるまで時を過ごしました。そして家の近くまでしのび寄り父に電話を掛け到着を告げました。驚いた父は家に入ってはいけない、お前が殺されると言いました。その時、危険にさらされているのは家族ではなく自分がターゲットなのだとわかったのでした。
私は神に祈りながら家の前の街灯に姿をさらしました。父が現れ即座に門扉を開けてくれました。
(写真:銃弾が貼られた脅迫状)

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