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2011年1月13日木曜日

手記28:2008年2月29日深夜逮捕

いつものように基地の仕事から帰宅し就寝しました。人目を避けて通勤しているため朝がたいへん早いのです。妻や子どもたちは10時くらいまで起きておりわたしは別の客用の部屋で寝ることにしていました。ちょうどその日は義理の弟がわたしたちと同居している彼の妹に会いに来ていました。
携帯電話が鳴り深い眠りから目がさめました。11時、寒い夜でした。近所の父の家に住む妹から急を告げる連絡でした。米軍が来ておりわたしの家はどこかと探し回っているとのことでした。通常ならすぐに逃げ出すべき事態です。わたしにはテロリストとの関係は全くなく、基地で仕事をし英語も話せます。米軍を避ける理由がありません。米軍が来ているという父の家に行き問題を解決するべき判断をしました。
父の家はすでに米軍の車両(ハンヴィー)が数台取り囲んでいました。停電のためあたりは真っ暗です。ハンヴィーのルーフには射撃手が配置され警戒しています。ここで姿を現すのはまずいのではないか?暗闇から現れたら敵と間違われ撃たれるかもしれない。引き返すべきと判断しました。しかし今ここで背中を見せれば米兵は私が逃げ出したと思うかもしれません。難しいとっさの判断でしたがわたしはゆっくりと近づきアメリカ兵に声を掛けることにしました。それが撃たれないための最善の方法と思えたのです。
わたしの「ハロー」という言葉に兵士らは驚きいっせいに銃口をわたしに向けてきました。「落ち着いてください、わたしはこの家の者です」
兵士が上官らしき将校を連れてきました。階級はわかりませんでしたが彼はわたしの顔に銃をつきつけ質問をしてきました。まるで犯罪者に対する尋問のようでした。
米軍は何人かのイラク人を探しているようでその顔写真のリストを見せてきましたがわたしには名前も顔もわかりませんでした。

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