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2009年12月21日月曜日

ヤヒヤ解放

ワリードの兄、ヤヒヤが3日前に解放されたようです。今年5月の裁判で釈放が決まっていましたがその後ずいぶんと待たされました。以前釈放の誤報があったりしたのでできれば電話で本人と話しをしてみます。ワリードと弟アリの解放の見込み、何が起きたのかなど詳細がわかればお知らせいたします。

ヤヒヤはワリードとは違ってガイドの仕事をメインにはしていませんでした。2004年にごく一部のNGOの医薬品支援などの案内役をしましたが温厚な人柄で信頼されていました。
ヤヒヤと最後に話しをしたのは2007年の一月でした。当時、危険なバグダッドからワリード一家が脱出を試みていたころでヤヒヤにもシリアに逃げるように勧めました。しかしヤヒヤは当時バグダッド大学の最終年でもあり卒業をしたいし、「イラクが危険なことはわかっている。しかし自分はイラクの男だ。だいじょうぶだ」という会話でした。その後、路上で襲われ後遺症の残るようなケガを負ったと聞いています。彼はメールをしておらず通信事情次第ですがいくつかのルートで必ず連絡を取ります。

2009年12月18日金曜日

ワリード家族の状況

イラクの子どもたちの医療支援のためアンマンで活動していた「なかよくする会」の西村さんがワリードの家族と連絡することができました。

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ヨルダンから妹のKに電話をかけましたが、携帯電話のネットがないか圏外もしくは電源が入っていないというアナウンスが続きました。

相手の情況がわからないので、メッセージで「ヨウコがアンマンから電話をかける」と予告して、時間帯を変えて電話をかけました。3日目夜にやっと「ハロー」と返事が返ってくるものの、音が途切れるます。翌日、昼にかけなおすと音声もよく会話ができました。

妹の話では「一族で農場に住んでいる。兄の家族、ワリードの妻と子供、自分たちはそれぞれ家をもっている。同じ敷地内なので、いつも顔を見ているが、みんな元気である」「農場(イコール郊外)にいるので電話の電波が届きにくいのか?」と尋ねると「たぶんそうだろう」とのこと。「治安はよくなったが、電気水道などのインフラはまったくかわらない」と答えでした。「姉の子供は父親がすでに殺されているが元気に育っている(姉の夫はバクーバでシーア派に拉致され行方が知れない。2006年ころ)「ワリードとヤヒヤについてはなんの進展もない。ただ、待つしかない。詳しいことは長兄しかしらない」ワリードが2月ころに釈放されるかもしれないという見込みについて聞くと「具体的なことは明らかでない」日本人たちがみな心配していると伝えると「みなさんに心配してくれてありがとうと伝えてほしい」とのことでした。妹は高校生のとき、がんにかかっているが現時点まで元気そうなのでよかった。

2009年12月5日土曜日

ワリード釈放の期待とイラク議会選挙

ワリードは「来年2月前後に釈放される」との期待を持っていると、面会した家族からの情報が数ヶ月前にありました。その理由は今年初めのイラク首相の「刑務所収容者は一年以内に解放する」との発言です。

ここしばらくの報道やイラク人からの情報によると来年3月にひかえた議会選挙を前に政治的な混乱がおきているそうです。

マリキ首相が安定した政治運営を行えるのか、あるいは解放発言自体がリップサービスで実現の具体性が欠けていたものなのか不安材料があります。

また現体制はシーア派主流でありワリードはスンニ派です。

バスラの友人の情報では釈放のニュースをテレビで見た程度で具体的な数字はわかりません。かりに一日に100人釈放されたとしても一ヶ月で3万人です。30万人以上という収容者数からすると相当な日数がかかるでしょう。現に5月に釈放判決の出たはずの兄ヤヒヤがいまだに留置されています。

国民の不満をやわらげるために選挙直前に収容者の釈放するなどの動きを期待したいのですが現実は厳しいようです。

2009年12月3日木曜日

口座変更(予定)のお知らせ

いつもワリード支援のカンパにご協力ありがとうございます。現在の「アラブの子どもとなかよくする会」口座から年内をめどに新規口座に変更予定です。名義は同じく「なかよくする会」ですがワリード専用の口座になる予定です。現在ヨルダンで活動中の西村さんの帰国後12月中旬に新規口座をご案内させていただきます。

2009年12月2日水曜日

イラクへの連絡

このブログで当初に書きましたがワリードの家族への連絡は定期的にとっていましたが直接には困難でワリードの友人のイラク人に依頼し電話での連絡でした。この一ヶ月電話での呼び出し音がするものの電話に出ず家族(兄)との連絡が取れていません。そろそろ心配だと友人はメールしてきましたが日本からどうしようもありません。

2009年11月25日水曜日

イラク手作りカレンダー


アンマンで活動中の「アラブの子どもとなかよくする会」の活動をご紹介します。



昨年に引き続き、ヨルダンのキングフセインがんセンターで治療中を受けているイラクの子どもたちとその家族が手作りしたカレンダーができあがりました。

今年は、らくだのマスコットのついたウォールポケットに、イラクの子どもたちの絵入りのカレンダーが入っています。(300部限定)皆様からのご注文を心よりお待ちしています。

カレンダーのご注文・お問合せ:

afaq@zav.att.ne.jp またはyokon315@hotmail.com 

(12月10日以前到着ご希望の方は、後者へご連絡ください。)

ご希望のカレンダーのウォールポケットの色と数量、お名前・送り先(住所、電話番号)をお知らせください。

振込用紙を同封いたしますので、カレンダーが到着したら、代金と送料のお振込みをお願いします。(5000円以上送料無料)

1130日までにお申込いただいた場合、1210日頃までに宅配便・メール便にてお送りします。

お急ぎの場合はご連絡ください。また、品切れの場合はご容赦ください。

<らくだのマスコットつきカレンダー> (横 15センチ x たて 27センチ)  一部1000円

日付は、日曜日始まりで、日本の休・祝日にあわせてあります。

月名は、イラクの言葉アラビア語と日本語で書いてあります。

ウォールポケットの色は黒、えんじ、紺、茶、オレンジの5色です。

製品はすべて手作りのため、布の色やデザインが写真と若干異なることがあります。

まだ夏まっさかりのうちから、マハムードは「来年の動物(干支)はなに?」とカレンダーの絵をかき始め、幼稚園で英語を習い始めたシャヘドやセイフは日付を書くのに大はりきりでした。(算用数字は英語の授業で習うのだそうです。)「絵をかいたことがない」というオスマンはお父さんと一緒に鳥の絵を、4歳になったムハンマドははじめて「かお」をかきました。

「オム・ジャマル(らくだの母さん)」こと、ムハンマド君のお母さんが一人で300頭のらくだのマスコットを作り、そのそばで、ムハンマド君のお父さんが300枚のウォールポケットを縫いました。

ミシンと編み物が得意なアリくんのお母さんがポケットのふち縫い300枚と壁にかける紐300本を編み、17歳のイスラムがひたすら三つ編みをしてらくだの尻尾300本を仕上げました。

アファーク・プロジェクトに参加する7つのイラク人家族が作ったカレンダーです。ご注文をお待ちしています。(収益は、参加家族で分配し、ヨルダンで、治療中に必要な生活費などとして役立てられます)

西村陽子

2009年10月27日火曜日

ご支援ありがとうございます

みなさまがたからのカンパに支えられています。

「高齢で病気がちなので、もっとカンパをしたいが、お許しを」とカンパとともにメッセージを寄せていただきました。
ありがとうございます。お気持ちだけでもじゅうぶんに支えていただいています。

2009年10月14日水曜日

日本大使館がバスラにビジネスセンター設立?

ワリード情報ではありません。バスラからのメールによると、日本大使館がビジネスサポートのセンターをバスラに設立するという記事が新聞に載ったそうです。

寄せていただいた支援についてのご報告

ワリード救出のお願いのメールを送りしてすでに4ヶ月が過ぎてしまいました。 その間、みなさまには暖かい支援のお言葉と共にカンパが寄せられワリードの家族の生活費と弁護士費用として現地に2度に分けて届けることができました。


現地の情報が錯綜する中で、これまでに分かった事を報告させていただきます。
1,ワリードと兄ヤヒヤはバグダッド空港の刑務所からイラク側に移管され、5月3日にイラク側の裁判でヤヒヤは無罪、ワリードは刑期の1年延長の判決が出ました。判決理由ははっきりしません。現在はバグダッド市内の刑務所に入れられています。
2.兄のヤヒヤは裁判で無罪になっても未だ解放されません。
3,弟アリはイラク北部のモースルにある刑務所に送られたという情報だけで詳しい状況は全くわかりません。
イラク国外のイラク人友人、人権団体とも連携していますが釈放のために有効な
手だてを見つけられません。
 
34万人と言われる理由なく捕らえられた受刑者の多くは家族の生活を支える大
黒柱であり、大黒柱を失った家族にとって大きな痛手になっています。

8月より「ワリード兄弟救出連絡会」を立ち上げブログを開設しています。
皆様からの救出カンパの報告はhttp://sites.google.com/site/savewaleed/home
をご覧ください。

救出に向けた動きは一向に進展しない状況です。5月当初の現地からの情報では、裁判を受け弁護士費用をまかなえば釈放されるとのことで今頃はすでに解決している見込みでした。
イラクの状況は報道されることも少なくなりましたが社会の混乱は続いています。
ワリード兄弟を取り巻く状況も予断を許しません。
引き続きワリード救出のご支援をよろしくお願いします。

ワリード兄弟救出連絡会世話人 記 2009・10・7

2009年10月3日土曜日

begging

バスラの友人Tが送ってきました。タイトルはTが送ってきたものです。バスラのTといえばご存じの方もおられるかもしれません。ここ何年も危険なバスラにいて「地獄だ」と本人がいう状況でしたがそのバスラの治安も多少は改善されTも専門学校でコンピュータの勉強を始めたとのことです。

2009年9月30日水曜日

日本企業のイラク進出

イラク人からのメールによると新日本石油がイラクでの石油採掘契約を得てイラクに入るとのことです。地域は南部ナッシリア(バスラとサマワの中間あたり)、将来的には日産100万バレルの採掘が見込まれるそうです。日本の原油消費量の2割弱に相当します。日本の会社としては初のイラク進出のようです。欧米企業はすでに多数イラク入りしています。別のイラク人からは日本企業で雇ってくれないだろうかというメールも来ました。おそらく賃金の安いアジア系労働者が連れてこられることになるでしょう。実際にバグダッドでもそういった労働者を見かけるようになったそうです。

 バスラでは三菱系会社が天然ガス採掘に乗り出すようです。

2009年9月14日月曜日

イラクの市民には届かない正義

本日、NHKで放送された内容をこのブログを見ていただいている方から連絡いただきました。


「18時10分からのNHK海外レポートによると、過去六年間でイラク国内で殺された弁護士は計650人、刑務所や警察の不正や汚職を追及した弁護士が暗殺の標的になっているようです。犯人についてレポートは伝えていませんでしたが、当局に専門の暗殺部隊がいるとしか考えられません。同じく六年間に殺された裁判官は約150人。こちらは主に、「袖の下」を拒否した裁判官が狙われたようです。イラクの汚職腐敗はすさまじく、警察官の採用試験を受けるのにさえ700ドルの袖の下がいるそうです。何とか親類からの借金などで金をかき集め、めでたく採用試験に受かった者がこんどはその借金を返すためせっせと賄賂を取るという悪循環に陥っている、とレポートは伝えていました」

2009年9月5日土曜日

無実なひとであふれるイラクの刑務所

これまでのところ入ってきた情報、状況をまとめてみました。
今年の一月アメリカ政府は拘束してきたイラク人の取り扱いについてイラク政府全ての囚人を釈放する。あるいはイラク司法当局に委ねると合意したしそうです。
この情報もあって昨年末にワリードらが釈放されるという期待が高まったことがあります。
米軍は100人単位で釈放をしているようですが2万人とも言われる数からするとまだ時間がかかるようです。
ワリードは米軍から釈放されずにイラク刑務所に送られ裁判も受けヤヒヤは無罪となっています。彼らの釈放を許さないのは米当局です。米軍は権限委譲といいながら実際にはイラク当局をコントロールしています。
また米軍がアルカイダの関与や米軍に敵対したと見なすイラク人は引き続いて米軍に拘束され続けイラク司法に渡されていません。
イラク人が持つべき人権を無視しイラクの憲法と法律に反しています。
イラク側にも問題があり政府の汚職、刑務所の腐敗などを糾弾しようとする市民グループや弁護士がテロの標的にされるということです。
イラクの宗派間対立と社会の混乱であまりにも多くのひとたちが不当な密告で、また恣意的な警察や軍の行動で逮捕されています。その数に対して裁判は追いつかず弁護士も少なすぎます。
ワリードとその兄弟はイラクの抱える悲劇のほんの一端でしかありません。ワリードは家族にとっては夫であり父であり、わたしたちにはかけがえのない友人です。イラクの悲劇にはあまりにも無力かもしれませんがひとりの友人として手を差しのべられればと願っています。
*米軍と表記していますが連合軍のほうが正しいかもしれません。実質的には米軍だと思います。

無実なひとであふれるイラクの刑務所

これまでのところ入ってきた情報、状況をまとめてみました。
今年の一月アメリカ政府は拘束してきたイラク人の取り扱いについてイラク政府全ての囚人を釈放する。あるいはイラク司法当局に委ねると合意したそうです。
この情報もあって昨年末にワリードらが釈放されるという期待が高まったことがあります。
米軍は100人単位で釈放をしているようですが2万人とも言われる数からするとまだ時間がかかるようです。
ワリードは米軍から釈放されずにイラク刑務所に送られ裁判も受けヤヒヤは無罪となっています。彼らの釈放を許さないのは米当局です。米軍は権限委譲といいながら実際にはイラク当局をコントロールしています。
また米軍がアルカイダの関与や米軍に敵対したと見なすイラク人は引き続いて米軍に拘束され続けイラク司法に渡されていません。
イラク人が持つべき人権を無視しイラクの憲法と法律に反しています。
イラク側にも問題があり政府の汚職、刑務所の腐敗などを糾弾しようとする市民グループや弁護士がテロの標的にされるということです。

イラクの宗派間対立と社会の混乱であまりにも多くのひとたちが不当な密告で、また恣意的な警察や軍の行動で逮捕されています。その数に対して裁判は追いつかず弁護士も少なすぎます。
ワリードとその兄弟はイラクの抱える悲劇のほんの一端でしかありません。ワリードは家族にとっては夫であり父であり、わたしたちにはかけがえのない友人です。イラクの悲劇にはあまりにも無力かもしれませんがひとりの友人として手を差しのべられればと願っています。

*米軍と表記していますが連合軍のほうが正しいかもしれません。実質的には米軍だと思います。

2009年9月3日木曜日

イラクの刑務所


ヤヒヤとアリが収容されていたバスラ、ブカ刑務所。現在はヤヒヤはバグダッド、アリはモースルに移されました。








刑務所内(バグダッド)

2009年8月30日日曜日

国際赤十字

国際赤十字の人権問題のイラク担当者と交渉を始めています。イラクには30万人以上という多く
の収容者がいることもありどのように進展するかはわかりません。イラク国内では人権問題に対して抗議など行動することは非常に困難であり危険なことのようです。

2009年8月26日水曜日

ワリードと家族が面会しました

約二週間ほど前に家族がワリードと面会しました。
面会時間はわずか10分とのことです。
ワリードは自分のことよりまだ20歳と若い弟(10年の刑)のために動いてほしいと言ったそうです。
この情報を日本に伝えてくれたイラク人は家族と電話で話したのですが通信が非常に悪く電話はすぐに切れてその後も繋がらないそうです。日本からの電話はまず繋がりませんがイラク国内からの電話も難しいようです。これは相手の電話がケータイであることも関係しています。イラクは戦後電話局の破壊などもあり比較的に基地局設置の簡単なケータイに電話が置き換わっているようです。

2009年8月16日日曜日

ワリード拘束の米軍とは?

ワリードと兄ヤヒヤは2008年2月22日に米軍に拘束されました。米軍がイラクの市民を拘束するのは日常の出来事のようです。ワリード家族がバグダッドの自宅を宗教民兵の脅迫により追われ、避難したバグダッド郊外の小さな農村の家は50人の米兵により踏み込まれたそうです。
5月3日に行われた裁判によると武器所持の証拠はなかったとのこで兄ヤヒヤは身分証明書の偽造容疑もなく釈放の判決になったのですがいまだに釈放されません。当時の情報で「ヤヒヤ釈放」と間違ってお伝えしてしまった方には訂正させていただきます。
またこれまでのところ米軍のどの部隊による作戦かも不明です。先月来日したイラク帰還米兵に聞いてみたところ、陸軍でも州兵でも空軍でさえありうるそうですが海兵隊の可能性が高いようです。
沖縄には数千人規模の海兵隊基地がありアフガニスタンに派遣していますが訓練のためにアザーンをスピーカーで流していました。

2009年8月10日月曜日

戦後の6年間

ワリード解放に向けて連絡を取り合っているオーストラリアの人権グループからの情報です。


戦争後の6年間で

1.100万人の未亡人

2.200万人が殺害

3.400万人の孤児

4.34万人が刑務所 *

5.400万人が国外へ移民

6.80万人が行方不明

7.67000人のエイズ患者が発生。戦争前の患者数は114人

8.3000億円の経済損失

9.インフラの壊滅

10.国家の崩壊


*補足;日本の刑務所定員は8万人です。日本はイラクの4倍の人口です。

Sydney peace group より。「神の意志により起きたこと、6年の報告」

2009年8月8日土曜日

週刊金曜日にワリードの記事が載りました

本日発売の週刊金曜日に本多勝一氏によりワリードの記事が掲載されました。
ワリードはイラク戦争の直前に本多氏のイラク取材のガイドをしています。

2009年8月4日火曜日

支援のお願い

ワリード兄弟救済募金のお願い

ワリードはアラブの子どもとなかよくする会初期の活動からの重要な現地パートナーでした。また多くの市民団体やマスコミのイラク事情のコーディネーターとして日本とイラクとの関係を繋ぎ、多くの貢献をしてきました。
ワリードが米軍に拘束されたというニュースは昨年3月頃伝わってきました。この情報はワリードの友人からでした。治安の悪化したイラクでは外国人であるわれわれと連絡とること自体が自身や家族を危険に晒すことになり、メールのやり取りもたいへんな状況でした。

これまでに得た情報では
2008年2月
グルジア村(ワリードの一族が住む村。バグダッドの自宅が危険になり、国内を転々とし最後に避難していた一 族の村で米軍とイラク警察の治安掃討作戦で逮捕(拘束)されました。ワリードの兄ヤヒヤ、弟アリも 連行されました。

イラクでは宗派間の対立で数年前から騒然とした状況でありまた。米軍による不当な市民の逮捕も日常化していました。スンニ派であるワリード一家は2005年にシーア派民兵によりバグダッドの家を奪われ国内を転々としまた。先々で武装勢力や米軍による攻撃を受け最終的に出身地である郊外の村へ避難せざるを得なくなっていました。その後多くのイラク人同様、安全のためシリアへの脱出と再出発を試みたのですが、イラクに残した父親が何者かに誘拐され、蓄えの生活資金を身代金としてすべて支払ってしまいました。無事に解放された父親は数日後に心臓発作で亡くなりました。また闘病していた母親も体調を崩し、後を追うように亡くなりました。
さらに、弟の一人が礼拝に出たまま行方不明になり翌日、惨殺されて見つかりました。ワリードと一緒に逮捕された兄ヤヒヤはバグダッドで運転中に暴徒に襲われ後遺症の残る障害を受けています。
ヤヒヤはサダム政権崩壊後、日本からのイラク支援団体や個人の活動のガイド役として活動しました。医薬品買い付けや病院訪問は安心して任せられたたいへん温厚な人物です。
避難先の村はシーア派民兵やギャングに何度も襲われ、自警団を作って村を守らなければならない状況になっていました。

ワリードとヤヒヤは銃器保持を疑われ一年の刑期を言い渡されましたしかしすでに服役を終えたにも関わらず釈放されずさらに一年の延長が決まってしまいました。米軍がイラク司法制度の上にあり最終的には米軍がすべてを決定しています。

6月までバグダッド郊外の米軍の刑務所に収容されていましたが米軍の都市部からの撤退、イラク側への権限委譲などにあわせてイラク管轄の刑務所に移されました。とかく評判の悪い米軍刑務所ですがイラク刑務所にくらべればまだマシといわれるほどイラク刑務所はひどいようです。
また当時19才だった末弟には10年服役の判決が出てしまいました。

これまでは米軍がイラク司法制度の上にあり最終的には米軍がすべてを決定してきました。
今年春からイラクの家族と連絡が取れるようになり家族が弁護士を雇ったこと、高額な弁護士費用が不足していることがわかりました。またワリードが身分証明書を二重に所持していたことも逮捕の理由となったこともわかりました。スンニ、シーアが敵対しておりスンニのワリードはシーアの身分証明書が安全のために必要だったのかもれません。国内移動時それぞれのエリアで路上検問があり多くのイラク市民が生き延びるため同様の手段を講じていると聞いています。

働き手をいっぺんに失い残された家族の生活も困難になっています。
日本市民のイラク支援活動、取材活動などを支えてきたワリードが一も早く釈放され、日本とイラクの橋渡し役となって活躍できる日が来ることを、私たちは願っています。どうぞ、ワリードの弁護士費用のカンパにご協力をお願いいたします。
西村陽子     カンパの送り先
アラブの子どもとなかよくする会の寄付金口座
郵便振替 00170-1-613360 口座名義 伊藤政子
「ワリード支援」と書き添えてください

2009年7月19日日曜日

ワリード兄弟救出連絡会からお知らせ

昨年3月以来ワリードとの連絡が途絶えたことで彼と接点のあった支援関係、ジャーナリストなどがこれまでそれぞれのイラクとのチャンネルで彼との連絡を図り消息を知るべき努力をしてきました。断片的にしか届かなかった情報でしたが横の連絡を取りあうことにより今後は情報だけではなく具体的な行動が出来るのではと連絡会を作ることになりました。

それぞれのネットワークで裁判費用・生活費支援のカンパの呼びかけをしていましたい。すでに40名の方々から42万円の寄付をお預かりしています。

ヨルダンで活動していたアラブの子どもとなかよくする会の協力で5月に2400ドル、7月上旬に3000ドルをバグダッドに送金しています。

ヤヒヤ釈放後直接本人との電話連絡を試みましたが通信事情がたいへんに悪く会話は不可能でした。
また弁護士とのやりとりはいわゆる足下を見られる(金持ち外国人と思われるため)、直接の連絡は避けています。これまで何人かのイラク人を通しての交渉でしたが6月よりアンマンで支援の関係者であり長いつきあいのあるヨルダン人薬剤師にワリード家族、弁護士との連絡の窓口になってもらっています。

また、アメリカ軍がイラク政府に対して、拘束されたイラク人の処遇に関する権限委譲を完全に実施せずにいることも、ワリードの拘束をいたずらに長引かせる原因となっています。
通信手段が限られていること、言葉の壁などもあるうえ裁判の制度、アメリカの関与など日本での知識では正確な解釈ができずじゅうぶんなご説明は今後も困難かと思われます。しかし出来る限りの情報を集めお知らせできるよう努力をします。ぜひみなさまのご協力をお願いします。