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2010年9月4日土曜日

手記5:サマワ、劣化ウラン弾発見

2003年12月9日、フォトジャーナリストと沖縄平和市民連絡会をガイドしたサマワで、劣化ウラン弾の使用を裏付ける破壊されたキャノン砲を発見しました。彼らが持参してきたガイガーカウンターで確認をしました。ユーフラテス河沿いの道の脇の広場で見つかりました。対岸はすぐサマワの街でした。戦争時サマワは戦闘を否定しバグダッドに向けて進軍するアメリカ軍を素通りさせた、よって組織だった戦闘はサマワでは起きず劣化ウラン弾も使用されていないと言われていました。
わたしは2004年の始めから不定期にサマワに入るようになりそして2005年から常駐するようになりました。
自衛隊の派遣と前後するようにサドル師派はその活動を始めました。外国企業や外国軍隊への抵抗活動でたいへん危険な状況になりつつありました。過激な行動で知られるのがサドル師派であり数々の暴力事件をおこした直属のミリシア(宗教私兵集団)、マフディー軍です。
はじめ自衛隊が来た頃のサマワは静かとも言えました。
しかし自衛隊は復興の約束を守れませんでした。時間がたっても何も変わりませんでした。
サドル師派は抵抗活動を始め 住民らの不満をもとに組織行動し自衛隊にサマワから出て行くように警告を発しました。
わたしは仕事と同時に生き延びるため二倍の努力が必要でした。
治安は目に見えて悪化してきました。
どんな小さなミスも死に直結するやもしれませんでした。自分だけでなく取材チームにも危険は及んでいました。実際にサマワ事務所の責任者は命を落としたのでした。
日本テレビは2005年から取材拠点として市内に借りていた事務所を、ミリシアに目をつけられることを警戒して何度か場所をかわりました。多くの武装ガードマンを雇っていました。
日本人スタッフはミリシアから脅迫を受けると現地スタッフには黙って素早く逃げ出しました。残ったイラク人らはなぜ急に日本人がいなくなったかわからないのでした。
続き・・・

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