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2010年9月1日水曜日

手記1:日本との出会い

わたしにとって日本は特別な国でした。10歳のころ見たテレビアニメ「サスケ」そしてシロクロでしたがサクラの花と日本女性の美しさをグラビアで見ることがありました。高校生になった1980年代後半には親戚が日本のイラク大使館に勤務したこともありさらに文化だけではなく日本の生活やすぐれた自動車や電気製品についても知ることになりました。いつのまにか日本に強い関心を持つようになっていました。
わたしはイラクの貧しい村で育ちました。父は電気技術者でした。貧しく生まれた父は十分な教育を受けることができず、独学で学んだぶんわたしたちにはできるかぎりの教育を与えてくれました。
1980年から隣国イランとの戦争が始まりました。青年たちにとって、前線に送られないためには大学などに進学することでした。わたしは91年に大学工学部を卒業しましたが兵役を逃れることはできませんでした。貧しかったため兵役逃れの罰金を払うこともできませんでした。
大卒のイラク人技術者としては兵役を終えないと社会から認められたポジションにつくことができませんでした。選択の余地はありませんでした。一年早く卒業していたら湾岸戦争に送られるところだったので幸運だったかもしれません。
わたしはイラク共和国軍に入隊し戦車の操縦士になりました。1年8ヶ月の兵役でした。成績がよかったためか士官として軍隊に残るように勧誘されましたが父は軍を好まず除隊することになりました。

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