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2009年8月30日日曜日

国際赤十字

国際赤十字の人権問題のイラク担当者と交渉を始めています。イラクには30万人以上という多く
の収容者がいることもありどのように進展するかはわかりません。イラク国内では人権問題に対して抗議など行動することは非常に困難であり危険なことのようです。

2009年8月26日水曜日

ワリードと家族が面会しました

約二週間ほど前に家族がワリードと面会しました。
面会時間はわずか10分とのことです。
ワリードは自分のことよりまだ20歳と若い弟(10年の刑)のために動いてほしいと言ったそうです。
この情報を日本に伝えてくれたイラク人は家族と電話で話したのですが通信が非常に悪く電話はすぐに切れてその後も繋がらないそうです。日本からの電話はまず繋がりませんがイラク国内からの電話も難しいようです。これは相手の電話がケータイであることも関係しています。イラクは戦後電話局の破壊などもあり比較的に基地局設置の簡単なケータイに電話が置き換わっているようです。

2009年8月16日日曜日

ワリード拘束の米軍とは?

ワリードと兄ヤヒヤは2008年2月22日に米軍に拘束されました。米軍がイラクの市民を拘束するのは日常の出来事のようです。ワリード家族がバグダッドの自宅を宗教民兵の脅迫により追われ、避難したバグダッド郊外の小さな農村の家は50人の米兵により踏み込まれたそうです。
5月3日に行われた裁判によると武器所持の証拠はなかったとのこで兄ヤヒヤは身分証明書の偽造容疑もなく釈放の判決になったのですがいまだに釈放されません。当時の情報で「ヤヒヤ釈放」と間違ってお伝えしてしまった方には訂正させていただきます。
またこれまでのところ米軍のどの部隊による作戦かも不明です。先月来日したイラク帰還米兵に聞いてみたところ、陸軍でも州兵でも空軍でさえありうるそうですが海兵隊の可能性が高いようです。
沖縄には数千人規模の海兵隊基地がありアフガニスタンに派遣していますが訓練のためにアザーンをスピーカーで流していました。

2009年8月10日月曜日

戦後の6年間

ワリード解放に向けて連絡を取り合っているオーストラリアの人権グループからの情報です。


戦争後の6年間で

1.100万人の未亡人

2.200万人が殺害

3.400万人の孤児

4.34万人が刑務所 *

5.400万人が国外へ移民

6.80万人が行方不明

7.67000人のエイズ患者が発生。戦争前の患者数は114人

8.3000億円の経済損失

9.インフラの壊滅

10.国家の崩壊


*補足;日本の刑務所定員は8万人です。日本はイラクの4倍の人口です。

Sydney peace group より。「神の意志により起きたこと、6年の報告」

2009年8月8日土曜日

週刊金曜日にワリードの記事が載りました

本日発売の週刊金曜日に本多勝一氏によりワリードの記事が掲載されました。
ワリードはイラク戦争の直前に本多氏のイラク取材のガイドをしています。

2009年8月4日火曜日

支援のお願い

ワリード兄弟救済募金のお願い

ワリードはアラブの子どもとなかよくする会初期の活動からの重要な現地パートナーでした。また多くの市民団体やマスコミのイラク事情のコーディネーターとして日本とイラクとの関係を繋ぎ、多くの貢献をしてきました。
ワリードが米軍に拘束されたというニュースは昨年3月頃伝わってきました。この情報はワリードの友人からでした。治安の悪化したイラクでは外国人であるわれわれと連絡とること自体が自身や家族を危険に晒すことになり、メールのやり取りもたいへんな状況でした。

これまでに得た情報では
2008年2月
グルジア村(ワリードの一族が住む村。バグダッドの自宅が危険になり、国内を転々とし最後に避難していた一 族の村で米軍とイラク警察の治安掃討作戦で逮捕(拘束)されました。ワリードの兄ヤヒヤ、弟アリも 連行されました。

イラクでは宗派間の対立で数年前から騒然とした状況でありまた。米軍による不当な市民の逮捕も日常化していました。スンニ派であるワリード一家は2005年にシーア派民兵によりバグダッドの家を奪われ国内を転々としまた。先々で武装勢力や米軍による攻撃を受け最終的に出身地である郊外の村へ避難せざるを得なくなっていました。その後多くのイラク人同様、安全のためシリアへの脱出と再出発を試みたのですが、イラクに残した父親が何者かに誘拐され、蓄えの生活資金を身代金としてすべて支払ってしまいました。無事に解放された父親は数日後に心臓発作で亡くなりました。また闘病していた母親も体調を崩し、後を追うように亡くなりました。
さらに、弟の一人が礼拝に出たまま行方不明になり翌日、惨殺されて見つかりました。ワリードと一緒に逮捕された兄ヤヒヤはバグダッドで運転中に暴徒に襲われ後遺症の残る障害を受けています。
ヤヒヤはサダム政権崩壊後、日本からのイラク支援団体や個人の活動のガイド役として活動しました。医薬品買い付けや病院訪問は安心して任せられたたいへん温厚な人物です。
避難先の村はシーア派民兵やギャングに何度も襲われ、自警団を作って村を守らなければならない状況になっていました。

ワリードとヤヒヤは銃器保持を疑われ一年の刑期を言い渡されましたしかしすでに服役を終えたにも関わらず釈放されずさらに一年の延長が決まってしまいました。米軍がイラク司法制度の上にあり最終的には米軍がすべてを決定しています。

6月までバグダッド郊外の米軍の刑務所に収容されていましたが米軍の都市部からの撤退、イラク側への権限委譲などにあわせてイラク管轄の刑務所に移されました。とかく評判の悪い米軍刑務所ですがイラク刑務所にくらべればまだマシといわれるほどイラク刑務所はひどいようです。
また当時19才だった末弟には10年服役の判決が出てしまいました。

これまでは米軍がイラク司法制度の上にあり最終的には米軍がすべてを決定してきました。
今年春からイラクの家族と連絡が取れるようになり家族が弁護士を雇ったこと、高額な弁護士費用が不足していることがわかりました。またワリードが身分証明書を二重に所持していたことも逮捕の理由となったこともわかりました。スンニ、シーアが敵対しておりスンニのワリードはシーアの身分証明書が安全のために必要だったのかもれません。国内移動時それぞれのエリアで路上検問があり多くのイラク市民が生き延びるため同様の手段を講じていると聞いています。

働き手をいっぺんに失い残された家族の生活も困難になっています。
日本市民のイラク支援活動、取材活動などを支えてきたワリードが一も早く釈放され、日本とイラクの橋渡し役となって活躍できる日が来ることを、私たちは願っています。どうぞ、ワリードの弁護士費用のカンパにご協力をお願いいたします。
西村陽子     カンパの送り先
アラブの子どもとなかよくする会の寄付金口座
郵便振替 00170-1-613360 口座名義 伊藤政子
「ワリード支援」と書き添えてください