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2011年2月19日土曜日

手記45:死にかけた娘ニブラス

生活にせい一杯でいつニブラスが病気になったのか誰も気がつきませんでした。高熱を出して痩せてしまいました。何も食べられなくなり意識がもうろうとなりました。
3才の女の子に死のサインが見えていても医者に診せるお金がありません。
妻は毎夜泣き続けました。ニブラスはそのうちトイレにも立てなくなり横になるともう起き上がれなくなりました。呼吸が早くなりました。
停電でエアコンが動きません。気温は50度に達します。農村なのでハエや蚊も飛び回っています。眠れるのは夜涼しくなってからで健康なひとでも体力を奪われます。
ニブラスの病気は水疱瘡でした。ふつうの医療体制なら死ぬような病気ではないでしょう。しかしイラクです。
わたしが10年以上日本のNGOと何十万本の注射器、何トンもの粉ミルク、高額な抗がん剤抗生剤を病院に運び込もうとも水ぼうそうの我が子を救えません。
偶然妻の姉の夫が家に来ました。それまで米軍に捕まっていて解放されたのでひさしぶりに会いに来たのです。
彼が見つけたときニブラスはもうほとんど死にかけていたといいます。彼がニブラスを病院に運んでくれました。彼がニブラスを救ってくれました。
わたしは子どもたちみなを愛しています。どう言っていいかわかりませんがこの子ニブラスはわたしの心の特別なところにいるのです。

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