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2011年1月13日木曜日

手記29:米軍基地へ連行

上官はわたしの家はどこかと聞いてきました。場所を示すと部下らに捜査するよう指示を出しました。家には3ヶ月前に生まれた赤ん坊がいます。イラクの田舎ではベッドではなく床に寝ています。停電で何も見えずアメリカ兵の軍靴に踏まれてはたいへんです。上官に注意するよう頼みこんだ矢先、大きな爆発が起きました。同時に兵士が銃を7、8発続けざまに撃ちました。爆発はなんとわが家のほうからではないですか。叫び声も聞こえます。子どもと女性の声でした。何が起きたのか確認のしようなくわたしと父の家にいた兄弟はその場で逮捕されてしまったのです。わたしたちは4人で兄ヤヒヤと弟アリ、そして14才の義理の弟でした。


わたしは猛然と抗議しました。わたしたちのどこがテロリストなのか!わずかな時間の議論で非協力的とみなされ連行されることになりました。すでに犯罪人扱いでした。まず地域の覚醒委員会(Sahwa)に連行され身元の照合をうけ釈放か拘束か判断されました。どうやら釈放されなさそうな気配でした。
そして連行されたのは米軍の基地でした。村から西に4キロ足らずでサダム時代にツワイサ原子力研究所として知られたところでした。

1 件のコメント:

  1. *Sahwaはアメリカがスポンサーについたスンニ派側ミリシアです。シーア派の代表的なミリシアであるマフディ軍と対抗しています。米軍とは利害があるものの「利」の部分では結託しているのだそうです。覚醒委員会あるいは覚醒評議会と日本語訳されています。

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