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2010年8月30日月曜日

イラク医療事情(ガン治療)

ワリードの親友でもあるイラク人からメールが来ました。兄弟3人がつづけざまにガンになったそうです。部位は肺、胃など異なっています。インドで治療を受けています。イラクでの医療は不十分なのはわかるのですがなぜ隣国ヨルダンではないのでしょうか。ワリードによるとインドは近年急激に医療レベルが上がっており医療費をふくめメリットがあり多くのイラク人がインドに向かうそうです。
 なおイラクの友人は技術者ですが、ガンの原因は戦争と結びつけてはいないとあえて書き添えてありました。イラクは長い間工場などからの廃棄物の制限が不十分で国土が汚染されているせいだとありました。

2010年8月28日土曜日

ガソリン事情

スカイプで話していたところ、きょうは早くに家に帰るとのこと。奥さんから電話があり発電機が不調で井戸の水が出ないので修理しなければならないと。ひどい暑さで子どもたちには水が必要(大人はラマダンで日中は水をがまんです)。「家まで一時間?」と軽く尋ねたところ「3時間かかる」。たしかワリードの村には1時間で行けたはずです。なんとガソリンを入れるのに2時間並ぶのだそうです。ブログ管理人も2003年の11月からのガソリン不足を経験しましたがその後7年も続いているとは予想もしていませんでした。

2010年8月25日水曜日

バスラのタラル

ワリードとも面識があり日本人とも交流のあったタラルの近況です。
大混乱の数年を生き延びています。
最近はスカイプをとったので連絡が安定しました。
昨年はコンピュータの専門学校に通っていて、かなりポジティブな印象でした。もちろん治安がよくなったという前提です。
2005年ころ民兵組織から脅迫を受け、バグダッドに逃げたもののそこも危険になりバスラに戻りますがやむをえず家族と離れ身を隠していました。昨年から家族ら(母親)と一緒に暮らしています。スカイプ動画でも姪の子どもの姿が映っていました。
バスラも爆弾事件が続き被害者が出ているもののバグダッドよりはよほど安全だと言っていました。現在はタクシードライバーをしているそうです。
100MBのブロードバンドが月に70ドルだそうです。昨年はふつうの電話回線でした。イラクのインフラもどんどん変わっていきます。

2010年8月22日日曜日

拘束の状況



本日送られてきた写真は米軍がワリードの家に突入してきた際のものでした。2007年2月28日、夜の11時。ドアには3発の銃痕があります。米兵は英語でまくしたて撃ったそうです。対応した義理の兄は英語が通じずたいへんなパニックだったそうです。

拘束時の状況、米軍による取り調べ、収監などワリードがじょじょに話しはじめています。またワリードがレポートにまとめているところでもあり、あらためてご報告できると思います。

*訂正;義理の兄ではなく弟でした。

2010年8月18日水曜日

サマワリポート2006

ワリードと話をしていたところ米軍にPCを押収されたため写真の大半を失ってしまったそうです。ワリードがサマワから送ってきた写真ならHPとして公開してありました。ワリードが撮りためた写真の一部でしかありませんが。
リンク先に追加しました。
(当時、ワリードのセキュリティを考慮し名前をアリードと変えてあります) 
なお米軍に押収されたカメラなど一部は来週に返却されるそうです。米軍が発行した公式の書類で押収品リストを見ましたが映画「ヒバクシャ」のビデオがありました。ワリードは多くのジャーナリストのサポートをしたため写真集など多数持っていたはずですがそれらはリストにはありませんでした。

2010年8月11日水曜日

ラマダン

今日からラマダンです。のどが乾くしアタマが痛いとワリードがスカイプからチャットしてきました。2003年にブログ管理人もイラクでラマダンをフルに体験しましたが10月中旬からの2ヶ月間でした。その際ワリードが「何年か先の真夏のラマダンほど苦しいものはない、そのころには涼しい国外に出ていたいものだ」と話していたことを思い出しました。停電(毎回ですが)のためシャットダウン、チャットも会話も長くは続きません。

2010年8月6日金曜日

ワリード近況

ワリードから写真が送られてきました。
刑務所が不衛生なうえ高温多湿だったため皮膚病にかかってしまい写真でもわかるように右目にトラブルがあります。