ワリード兄弟イラク通信 Topページ  手記  メモ | ワリードとは | メール

2011年1月24日月曜日

メモ:湾岸戦争と市民運動

18年前にワリードは日本の市民運動と出会い湾岸戦争の被害者救援活動を手伝うことになりました。
救援活動のきっかけは20年前の湾岸戦争(1991年1月17日ー3月3日)でした。当時クウェートに侵攻したイラクへの風当たりは相当強くおそらく一部の市民だけが立ち上がり行動を起こしたように見えました。それがPAN(ペルシャ湾のいのちを守る地球市民行動ネットワーク)というグループでした。
PANは湾岸戦争に反対し被災者を救援するという目的で91年1月30日に結成されました。影響を与えたのはGPT(ガルフピースチーム)、日本山妙法寺の寺沢上人らでした。ワリードの友人でもあるアメリカ人キャシー・ケリーはGPTのメンバーでもありその後はクリスチャン中心の平和団体「荒野の声voices in the wilderness」を設立しイラク戦争中も現地に留まりました。その活動が評価されキャシーと荒野の声はその年のノーベル平和賞にノミネートされました。キャシーは3度目の平和賞ノミネートでした。



PANの行動は素早く停戦からほぼ2週間後には救援物資を届けるために日本を出発しました。第一次民間救済派遣団は91年3月18日より2週間。14名が参加しました。
その後も第二次活動(5月13日〜6月8日。14名)
第三次活動(8月3日〜9月26日。6名
第四次活動(1992年2月29日〜4月9日。9名)
と活動を続けましたが解散(当初より活動は一年と限定)、活動は「アラブの子どもとなかよくする会に受け継がれました。

PANの事務局は1991年には竹橋の「ほんの木」ビルにありました。すでに取り壊し決定の古びたビルで閑散としていた記憶があります。日本で紹介されたばかりのアースデイ事務局の事務所もあって確か第1回か2回目のアースデーを準備していました。

92年には活動していた上野の団体も手を引きイラク問題は世間から忘れられ長い暗闇に突入します。戦争は短期で終わりましたがイラクの市民の苦しみはまだ下り坂を転がっていました。何に視点を置くかにより見解はわかれると思いますが95年ころが一番ひどかったかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿