絵はがきや写真集で知られた白血病のサファーですがワリードに連絡がありました。病気はよくなり今は病院で看護師として働いています。写真の当時は10才くらいでしょうか?今はもう二十歳です。
2011年1月31日月曜日
2011年1月30日日曜日
覚醒委員会
手記を読んでの感想です。
米軍は当初ワリード逮捕の意図はなかった。たまたま銃声がしてパニックでワリードたちを逮捕してしまった。その後に絡んだ覚醒委員会が企みを起こしてワリードは罪を被ることになったように思います。ワリードが捕まれば彼の農場を手にできるという意図です。
覚醒委員会(評議会)とはどんな組織なのでしょう。
米軍が治安維持のために利用している民間組織で、米軍の支援を受けて(あるいは米軍を支援するために)シーアエリアではマフディ軍と戦いスンニエリアではアルカイダと戦っているとのことです。いずれも米軍にとっての利にかなっています(米軍がコントロールできる範囲であれば)。
米軍は当初ワリード逮捕の意図はなかった。たまたま銃声がしてパニックでワリードたちを逮捕してしまった。その後に絡んだ覚醒委員会が企みを起こしてワリードは罪を被ることになったように思います。ワリードが捕まれば彼の農場を手にできるという意図です。
覚醒委員会(評議会)とはどんな組織なのでしょう。
米軍が治安維持のために利用している民間組織で、米軍の支援を受けて(あるいは米軍を支援するために)シーアエリアではマフディ軍と戦いスンニエリアではアルカイダと戦っているとのことです。いずれも米軍にとっての利にかなっています(米軍がコントロールできる範囲であれば)。
ラベル:
管理人
2011年1月27日木曜日
食糧配給制
湾岸戦争から20年、イラク戦争から7年以上もたっているのにまだ配給制度が続いています。イラクでは最低以下の生活をするひとが700万人以上いるともいいます。
ワリードが刑務所にいた2年間、妻と5人の子どもはどうやって生きていただろうかと思っていました。生後3ヶ月の赤ちゃんがいて奥さんが働きに出られません。最低限の暮らしは配給食糧でなんとかなると思うしかありませんでした。
たまたまワリードの地域は昨日が配給日でした。明細を聞いてみました。
米、小麦粉、砂糖、豆、粉ミルク、石けん、洗濯石けんなどが配給されていました。昨年春から米、小麦粉、砂糖、油だけに減らされたそうです。今月は一人あたり米1キロ、食用油0.5リットルだけだったそうです。なお先月は配給がなかったそうです。
配給は貿易省(ministry of trade )の管轄で行われています。ワリードは横流しなどで市民に廻ってこないのだと言っています。
ワリードが刑務所にいた2年間、妻と5人の子どもはどうやって生きていただろうかと思っていました。生後3ヶ月の赤ちゃんがいて奥さんが働きに出られません。最低限の暮らしは配給食糧でなんとかなると思うしかありませんでした。
たまたまワリードの地域は昨日が配給日でした。明細を聞いてみました。
米、小麦粉、砂糖、豆、粉ミルク、石けん、洗濯石けんなどが配給されていました。昨年春から米、小麦粉、砂糖、油だけに減らされたそうです。今月は一人あたり米1キロ、食用油0.5リットルだけだったそうです。なお先月は配給がなかったそうです。
配給は貿易省(ministry of trade )の管轄で行われています。ワリードは横流しなどで市民に廻ってこないのだと言っています。
ラベル:
管理人
なぜワリードなのか?
なぜワリードのことばかりなのか?というご指摘を頂きました。
3年前ワリードが音信不通になりイラク関係のNGOに消息を聞いてまわりワリードへの支援も依頼しました。ワリードは支援関係者にも知られた男です。
その際にも言われたのは「公私混同になるため組織としては紹介できない」
他のNGOでは「子どもたちを救うための活動をしているためワリードには関われない」
などでした。
イラクのため動いておられる方にそれ以上の何かを頼みはしません。どうぞ子どもたちを救ってあげていただければと思います。
当方らワリードに関して個人として友人としてできることがあるはずだし、まずは出会ってしまったワリードを救いたいというスタンスをご理解いただきたいと思います。
(管理人ひろし)
3年前ワリードが音信不通になりイラク関係のNGOに消息を聞いてまわりワリードへの支援も依頼しました。ワリードは支援関係者にも知られた男です。
その際にも言われたのは「公私混同になるため組織としては紹介できない」
他のNGOでは「子どもたちを救うための活動をしているためワリードには関われない」
などでした。
イラクのため動いておられる方にそれ以上の何かを頼みはしません。どうぞ子どもたちを救ってあげていただければと思います。
当方らワリードに関して個人として友人としてできることがあるはずだし、まずは出会ってしまったワリードを救いたいというスタンスをご理解いただきたいと思います。
(管理人ひろし)
ラベル:
管理人
メモ:救援活動で刑務所行き
管理人です。経済制裁が風化しつつあるようではあるしワリードの次の原稿が届くまでの場つなぎに書いてみます。
湾岸戦争後の経済制裁は主に乳児幼児を犠牲にする戦争に匹敵、それ以上にむごたらしいものでした。
反対のキャンペーンを張ったキャシー・ケリーと荒野の声でしたが1998年アメリカ政府から罰金刑が下りました。経済制裁という国策に反し医薬品や粉ミルクなどを不正に輸出したという罪で財務省から訴えられました。団体には16万3千ドルの罰金、個人には1万ドル。30日以内に支払え、そうしない場合は12年間の禁固刑
湾岸戦争後の経済制裁は主に乳児幼児を犠牲にする戦争に匹敵、それ以上にむごたらしいものでした。
反対のキャンペーンを張ったキャシー・ケリーと荒野の声でしたが1998年アメリカ政府から罰金刑が下りました。経済制裁という国策に反し医薬品や粉ミルクなどを不正に輸出したという罪で財務省から訴えられました。団体には16万3千ドルの罰金、個人には1万ドル。30日以内に支払え、そうしない場合は12年間の禁固刑
ラベル:
管理人
2011年1月26日水曜日
2011年1月25日火曜日
メモ:イラク戦争と荒野の声
ワリードがキャシーについて手記に書いたので荒野の声のホームページを見てみました。すでに消えていました。2年前にキャシーらとワリード救出の電話会議をしたときにはまだ残っていました。残念です。
イラク戦争中の緊迫したリポートも読めなくなってしまいました。オリジナルドメインだったので経費がかかっていたのでしょうか。貴重な記録だったはずです。どこかにミラーサイトがあるといいのですが。
日本語で「荒野の声」と検索しても出てくるのはキリスト教に関連したものが多いです。
むろんキャシーはクリスチャンで団体名もキリスト教にちなんだものです。
キャシー・ケリーKathy Kellyは英文でならウィキペディアにページがあります。
当方が知っている範囲ですが荒野の声は複数の団体により構成されアメリカシカゴに本部を置き1996年から2003年まで活動しました。当初は医薬品や粉ミルクなど支援物資をイラクに送っていたように覚えています。経済制裁の不当性を訴えていました。2002年、アメリカがイラクを攻撃するという情勢になり、反戦を強く訴えるようになりました。その年の秋からイラクに常駐メンバーを置くようになりました。
2003年4月戦争終了後荒野の声は解散し構成団体はそれぞれ活動を始めました。
その年のノーベル平和賞にキャシーと荒野の声の活動がノミネートされました。キャシーは3度目の平和賞ノミネートでした。
荒野の声の有力な構成団体だったCPT(Christian Peace Maker Teams)は米軍による人権問題に取り組みアブグレイブ刑務所を告発しました。
CPTは戦後もイラクに留まり活動を続けましたが2005年11月イギリス人やカナダ人のメンバー4名が誘拐され、うち2名が殺害されました(正義の剣旅団が犯行声明)。
CPTは一時的に撤退しましたがまたイラクに戻りました。
キャシーは新しい団体Voices Creative non Violence を立ち上げ現在も活動中です。
イラク戦争中の緊迫したリポートも読めなくなってしまいました。オリジナルドメインだったので経費がかかっていたのでしょうか。貴重な記録だったはずです。どこかにミラーサイトがあるといいのですが。
日本語で「荒野の声」と検索しても出てくるのはキリスト教に関連したものが多いです。
むろんキャシーはクリスチャンで団体名もキリスト教にちなんだものです。
キャシー・ケリーKathy Kellyは英文でならウィキペディアにページがあります。
当方が知っている範囲ですが荒野の声は複数の団体により構成されアメリカシカゴに本部を置き1996年から2003年まで活動しました。当初は医薬品や粉ミルクなど支援物資をイラクに送っていたように覚えています。経済制裁の不当性を訴えていました。2002年、アメリカがイラクを攻撃するという情勢になり、反戦を強く訴えるようになりました。その年の秋からイラクに常駐メンバーを置くようになりました。
2003年4月戦争終了後荒野の声は解散し構成団体はそれぞれ活動を始めました。
その年のノーベル平和賞にキャシーと荒野の声の活動がノミネートされました。キャシーは3度目の平和賞ノミネートでした。
荒野の声の有力な構成団体だったCPT(Christian Peace Maker Teams)は米軍による人権問題に取り組みアブグレイブ刑務所を告発しました。
CPTは戦後もイラクに留まり活動を続けましたが2005年11月イギリス人やカナダ人のメンバー4名が誘拐され、うち2名が殺害されました(正義の剣旅団が犯行声明)。
CPTは一時的に撤退しましたがまたイラクに戻りました。
キャシーは新しい団体Voices Creative non Violence を立ち上げ現在も活動中です。
ラベル:
管理人
2011年1月24日月曜日
2011年1月22日土曜日
2011年1月17日月曜日
2011年1月14日金曜日
2010年9月23日木曜日
2006年11月のメール
2006年の村での様子を書いたワリードからのメールをご紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この15日間バグダッド郊外の村にいてメールが出来なかった。バグダッドの地獄から避難している。不幸なことに毎日大勢の武装集団に村が襲撃されている。彼らはサドル派マフディ軍の兵士だ。詳しくは書くことができない。インターネットカフェが秘密警察により監視されているから。
この村に来てから自警団に参加し、毎夜2時間武器を持ち戦いの前線に出ている。これまで幸運にもリアルな戦闘には出くわしていない、実際の戦闘まっただなかでは後ろに下がっていろと友人ら言われたことがあったが。
ほんとうのところ役に立つような戦争経験がない。
毎晩、眠りにつくのが難しい。殺された弟が胸に去来する。ようやく眠りに落ちても犬が何かささいなことで吠えただけで目を覚まし、最後の時が来たのではと考える。
*ワリードの村は首都バグダッドの郊外とはいえ砂漠にぽつんとあるオアシスのようなのどかな村でした。ワリードはこれまで自由人的に外国人とつきあい、田舎の保守とは遠いところにいたのですが最後に血族を頼りローカルなコミュニティに戻りセキュリティを得たのでしょう。
当時ワリードの苦境を知りごく近い数名で支援をしました。広く呼びかけることはしませんでした。今回の逮捕での対応は連絡会を発足させ広く呼びかけをしました。兄弟3人であること、相手が米軍であること、そして情報収集が困難で広く協力が必要と判断したためです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この15日間バグダッド郊外の村にいてメールが出来なかった。バグダッドの地獄から避難している。不幸なことに毎日大勢の武装集団に村が襲撃されている。彼らはサドル派マフディ軍の兵士だ。詳しくは書くことができない。インターネットカフェが秘密警察により監視されているから。
この村に来てから自警団に参加し、毎夜2時間武器を持ち戦いの前線に出ている。これまで幸運にもリアルな戦闘には出くわしていない、実際の戦闘まっただなかでは後ろに下がっていろと友人ら言われたことがあったが。
ほんとうのところ役に立つような戦争経験がない。
毎晩、眠りにつくのが難しい。殺された弟が胸に去来する。ようやく眠りに落ちても犬が何かささいなことで吠えただけで目を覚まし、最後の時が来たのではと考える。
*ワリードの村は首都バグダッドの郊外とはいえ砂漠にぽつんとあるオアシスのようなのどかな村でした。ワリードはこれまで自由人的に外国人とつきあい、田舎の保守とは遠いところにいたのですが最後に血族を頼りローカルなコミュニティに戻りセキュリティを得たのでしょう。
当時ワリードの苦境を知りごく近い数名で支援をしました。広く呼びかけることはしませんでした。今回の逮捕での対応は連絡会を発足させ広く呼びかけをしました。兄弟3人であること、相手が米軍であること、そして情報収集が困難で広く協力が必要と判断したためです。
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管理人
2010年9月17日金曜日
ワリードの告白と悩み
ワリードが2008年の2ヶ月間、米軍基地で働いたことは今回の手記で始めて知りました。村ではネットができず、このころのメールのやりとりは月に一回か二回でただ安否を知る程度でした。
ワリードは自ら書いていますが米軍で働くことを恥じています。それでわたしにも「どう思うか?」と聞いてきました。どう思うもこうも、生きていてくれればそれで十分でした。
非暴力は大事ですが、武器については正当防衛なのだし、あの状況で非暴力と言うことは本人と家族に死ねと言うことです。
ワリードを知っている方、ぜひ本人に連絡してはげましてください。(管理人:かつお)
ワリードは自ら書いていますが米軍で働くことを恥じています。それでわたしにも「どう思うか?」と聞いてきました。どう思うもこうも、生きていてくれればそれで十分でした。
非暴力は大事ですが、武器については正当防衛なのだし、あの状況で非暴力と言うことは本人と家族に死ねと言うことです。
ワリードを知っている方、ぜひ本人に連絡してはげましてください。(管理人:かつお)
ラベル:
管理人
2010年9月15日水曜日
IDとミリシア
IDカード(身分証明証)についてワリードが手記17で偽造ID所持について書いています。そのIDには氏名・住所以外に宗教、宗派、部族が明記され、時にひとびとの生死を分かつことになるのです。イラクは9割がイスラム教です。そのイスラム教徒がスンニ、シーアと別れて宗派間で対立しているのです。日本では宗派間対立とか紛争とか言われていますがワリードはthe sectarian war=宗派間戦争と書いています。その死者数がイラク戦争での民間人の被害を超えているからでしょう。
IDの携行は義務です。ミリシアは町はずれなどに勝手にチェックポイント(検問所)を作って通行人を調べ、対立する宗派の人間を拒否します。エスカレートすれば拉致殺害に至りたいへん危険です。ひとびとは別の宗派のIDを持つことになります。名前も宗派の偉人にちなんだりした本名だとばれてしまうので偽名にします。
2004年ころから登場してきたのがミリシアです。
ミリシアを訳すと単に民兵ですがイラクの場合宗教的背景が強く宗教私兵集団といった意味になります。ワリードの手記には何度もミリシアの名前が出ますがそのときの状況に応じて政治的なこともあります。身代金を要求するミリシアは宗教的とはいえずたんなる強盗でしょう。地域性が強い場合は自警団と呼べるかもしれません。ミリシアについてはその文中に応じて意味を読み取っていただきたいと思います。
ワリードの場合、ある日実家に脅迫文が投げこまれ小さな子どもが玄関先で見つけます。
一家は地域で50年近く暮らし家族はみなムスリムでいたって普通のイラク人です。ただしワリードは戦争取材景気でいっきに小金持ちになっています。クルマも買い換えました。たぶん近所では目立ったかもしれません。もっとも問題だったのはワリードが外国人に協力していたことでしょう。
脅迫文には近所では知られているはずのない日本のテレビの名前があります。自衛隊の活動さえバグダッドでは知られていないのに誰が知るでしょう。親しい友人の誰かか親戚なのか密告者がいるようで不安になります。家族を連れて避難しますが妻にさえ行き先を告げられません。知らなければ守る秘密がありません。
隣近所のやはりスンニの住人は家長を殺されすでに一家で町を出て行きました。
小さな子どもがいるので恐怖におののきます。脅迫に対応しなければなりません。見えない犯人を刺激することになるのでワリードを家に入れられないわけです。
ワリードは監視の目を恐れることになります。都市の生活ではどこからそして誰から監視されているかわかりません。気がつくと尾行がつき、クルマはすでにマークされているので家から離れたところに停めてバスで町に入ります。さらに暗くなるまで町の中は歩けません。
ワリードのように外国メディアの協力者はもちろん米軍、外国企業に関わっていて身元がばれるなどすればいつ処刑されるかわかりません。スンニ派にとって警察は信用できません。警察の内部にはシーア派ミリシアメンバーがいるのです。ミリシアが制服を着て警察になったともいいます(全員ではありません)。ワリードの義理の弟は警察官でしたがスンニなのであっさり殺されるわけです。
戦後の選挙で人口で多数のシーア派が政権を取りました。とくに警察と内務省はシーア派が実権をとっています。サダム時代はシーアは圧政を受けていました。体制が変わって今度は多くのスンニが報復されました。スンニも復讐にかられ爆弾を抱いてシーア派モスクに飛び込みます。
スンニ派にもミリシアはいます。ミリシアは自派の住民を殺し敵対するミリシアのせいと工作し復讐心をあおったともいいます。憎悪と恐怖の連鎖は収まりません。
ワリードが家を出たにもかかわらず脅迫は続き一家までも殺害予告を受けます。四男(ワリードの下の弟)はモスクに行った帰りに警察に捕まりました。警察は裏で弟をミリシアに引き渡し弟は惨殺され道ばたに捨てられます。
ワリード一家は一族の出身地に避難できただけましでしょう。行き先のないひとびとは国内、国外難民になりその数は200万人余といいます。
一家の去ったバグダッドの家はすぐにミリシアに奪われます。スンニエリアから同じように逃れてきたシーアファミリーが斡旋されそこに住むことになります。もう彼らを追い出すことはできません。ワリードが住んでいたバグダッドの一画はそれまではスンニもシーアも入り交じって住んでいましたがもうスンニが住めない町になりました。
ワリードは蓄えを投じて国外脱出の計画をたてます。しかしその半ばで妻の父が身代金目当てに誘拐されます。要求された25,000ドルを支払いすっかり資金を失います。不幸のスパイラルはつづきます。ワリードは生活のために、脅迫されながらもメディアの仕事をやめることができません。
身代金を払って取り戻した義父は数ヶ月後またも掠われ今度は生きて帰って来れませんでした。
ワリードは避難先の村に閉じ込められました。村は一族の出身地で安全なはずでしたがそこもミリシアに目をつけられ毎夜の襲撃を受けます。父と母を続けて喪います。高校生の末の弟さえ誘拐されてしまいます(その2年後ワリードとともに米軍に逮捕されます。10年の刑でまだ服役中です)。
家族を守るために自警団に入り銃をとることになるワリードは武器所持の理由などで米軍により逮捕されます。米軍からすると自衛のために戦っているこの村人らもミリシアと見なされるでしょう。
ワリードは過酷な刑務所に耐えて生還しました。
ワリードがまだ生きていてほんとによかったと思います。
(管理人)
IDの携行は義務です。ミリシアは町はずれなどに勝手にチェックポイント(検問所)を作って通行人を調べ、対立する宗派の人間を拒否します。エスカレートすれば拉致殺害に至りたいへん危険です。ひとびとは別の宗派のIDを持つことになります。名前も宗派の偉人にちなんだりした本名だとばれてしまうので偽名にします。
2004年ころから登場してきたのがミリシアです。
ミリシアを訳すと単に民兵ですがイラクの場合宗教的背景が強く宗教私兵集団といった意味になります。ワリードの手記には何度もミリシアの名前が出ますがそのときの状況に応じて政治的なこともあります。身代金を要求するミリシアは宗教的とはいえずたんなる強盗でしょう。地域性が強い場合は自警団と呼べるかもしれません。ミリシアについてはその文中に応じて意味を読み取っていただきたいと思います。
ワリードの場合、ある日実家に脅迫文が投げこまれ小さな子どもが玄関先で見つけます。
一家は地域で50年近く暮らし家族はみなムスリムでいたって普通のイラク人です。ただしワリードは戦争取材景気でいっきに小金持ちになっています。クルマも買い換えました。たぶん近所では目立ったかもしれません。もっとも問題だったのはワリードが外国人に協力していたことでしょう。
脅迫文には近所では知られているはずのない日本のテレビの名前があります。自衛隊の活動さえバグダッドでは知られていないのに誰が知るでしょう。親しい友人の誰かか親戚なのか密告者がいるようで不安になります。家族を連れて避難しますが妻にさえ行き先を告げられません。知らなければ守る秘密がありません。
隣近所のやはりスンニの住人は家長を殺されすでに一家で町を出て行きました。
小さな子どもがいるので恐怖におののきます。脅迫に対応しなければなりません。見えない犯人を刺激することになるのでワリードを家に入れられないわけです。
ワリードは監視の目を恐れることになります。都市の生活ではどこからそして誰から監視されているかわかりません。気がつくと尾行がつき、クルマはすでにマークされているので家から離れたところに停めてバスで町に入ります。さらに暗くなるまで町の中は歩けません。
ワリードのように外国メディアの協力者はもちろん米軍、外国企業に関わっていて身元がばれるなどすればいつ処刑されるかわかりません。スンニ派にとって警察は信用できません。警察の内部にはシーア派ミリシアメンバーがいるのです。ミリシアが制服を着て警察になったともいいます(全員ではありません)。ワリードの義理の弟は警察官でしたがスンニなのであっさり殺されるわけです。
戦後の選挙で人口で多数のシーア派が政権を取りました。とくに警察と内務省はシーア派が実権をとっています。サダム時代はシーアは圧政を受けていました。体制が変わって今度は多くのスンニが報復されました。スンニも復讐にかられ爆弾を抱いてシーア派モスクに飛び込みます。
スンニ派にもミリシアはいます。ミリシアは自派の住民を殺し敵対するミリシアのせいと工作し復讐心をあおったともいいます。憎悪と恐怖の連鎖は収まりません。
ワリードが家を出たにもかかわらず脅迫は続き一家までも殺害予告を受けます。四男(ワリードの下の弟)はモスクに行った帰りに警察に捕まりました。警察は裏で弟をミリシアに引き渡し弟は惨殺され道ばたに捨てられます。
ワリード一家は一族の出身地に避難できただけましでしょう。行き先のないひとびとは国内、国外難民になりその数は200万人余といいます。
一家の去ったバグダッドの家はすぐにミリシアに奪われます。スンニエリアから同じように逃れてきたシーアファミリーが斡旋されそこに住むことになります。もう彼らを追い出すことはできません。ワリードが住んでいたバグダッドの一画はそれまではスンニもシーアも入り交じって住んでいましたがもうスンニが住めない町になりました。
ワリードは蓄えを投じて国外脱出の計画をたてます。しかしその半ばで妻の父が身代金目当てに誘拐されます。要求された25,000ドルを支払いすっかり資金を失います。不幸のスパイラルはつづきます。ワリードは生活のために、脅迫されながらもメディアの仕事をやめることができません。
身代金を払って取り戻した義父は数ヶ月後またも掠われ今度は生きて帰って来れませんでした。
ワリードは避難先の村に閉じ込められました。村は一族の出身地で安全なはずでしたがそこもミリシアに目をつけられ毎夜の襲撃を受けます。父と母を続けて喪います。高校生の末の弟さえ誘拐されてしまいます(その2年後ワリードとともに米軍に逮捕されます。10年の刑でまだ服役中です)。
家族を守るために自警団に入り銃をとることになるワリードは武器所持の理由などで米軍により逮捕されます。米軍からすると自衛のために戦っているこの村人らもミリシアと見なされるでしょう。
ワリードは過酷な刑務所に耐えて生還しました。
ワリードがまだ生きていてほんとによかったと思います。
(管理人)
ラベル:
管理人
2010年9月9日木曜日
疑問と不安
管理人の感想です。
ここまでの手記を読んであらためて当時の記憶がよみがえりました。ワリードが当時わたしに伝えなかったことも書いてあります。しかし当時の疑問が解消したともいえません。読んでおられるかたは納得されているでしょうか?
・なぜ家族から反対されかつ脅迫されてまでテレビの仕事を続けたのでしょう?
・サマワの責任者が拉致殺害されているのになぜサマワに家族で避難したのでしょう?
上記二点(家族の反対とサマワでの殺害)は今回初めて知りました。常識的にはガイドの仕事は外国人といるだけでターゲットと見なされ危険でした。
ワリードは長い日本人とのつきあいで身につけた、日本人にはかゆいところに手が届くガイド能力に自負があったことでしょう。さらにふつうには稼げないギャラも手にしていました。単純には比較できませんが戦前、NGOが払っていた給料の50倍をマスコミはポンと出していました。
不安に思っており「十分稼いでいたのだからもう商売でも始めて、外国人と手を切るべきだ!」と言ったところで聞くわけがありませんでした。
サマワでの業務も問題でした。サマワはシーア派エリアでサダム時代に相当の迫害を受けていました。サダム時代は表向きは宗派対立はありませんでしたが裏では当然差別がありました。サマワは当時もっとも国外に逃れる住人の割合が高かったと聞いたことがあります。すさまじい迫害があったからです。戦後は米軍に抵抗するよりサダム=スンニへの反感で「敵の敵は味方だ」という論理で米軍に協力すべしというファタワが出たともいいます。それゆえ自衛隊活動の候補地としては住民から協力が得やすかったのです。ワリードの問題はおのずと発生しています。彼はスンニだったのです。しかもバグダッド育ちの都会っ子でした。
シーア派地域ではシーアのガイド、スンニ派エリアではスンニのガイドが適切でかつ本人のためでもあったと思っています。管理人は南部シーア派エリアで活動するときはシーアの友人に協力を得ていました。
それでもワリードが避難先としてサマワを選んだのは長く住んでしがらみが多く、人間関係が硬直してしまったバグダッドよりスンニがごく少数で、かえって猟師の懐の「窮鳥」たりえたサマワのほうが、比較として安全だったのではということです。
覆水盆に返らず。ワリードは稼いだ全てを失った、それ以上かもしれませんが失ったようです。
ここまでの手記を読んであらためて当時の記憶がよみがえりました。ワリードが当時わたしに伝えなかったことも書いてあります。しかし当時の疑問が解消したともいえません。読んでおられるかたは納得されているでしょうか?
・なぜ家族から反対されかつ脅迫されてまでテレビの仕事を続けたのでしょう?
・サマワの責任者が拉致殺害されているのになぜサマワに家族で避難したのでしょう?
上記二点(家族の反対とサマワでの殺害)は今回初めて知りました。常識的にはガイドの仕事は外国人といるだけでターゲットと見なされ危険でした。
ワリードは長い日本人とのつきあいで身につけた、日本人にはかゆいところに手が届くガイド能力に自負があったことでしょう。さらにふつうには稼げないギャラも手にしていました。単純には比較できませんが戦前、NGOが払っていた給料の50倍をマスコミはポンと出していました。
不安に思っており「十分稼いでいたのだからもう商売でも始めて、外国人と手を切るべきだ!」と言ったところで聞くわけがありませんでした。
サマワでの業務も問題でした。サマワはシーア派エリアでサダム時代に相当の迫害を受けていました。サダム時代は表向きは宗派対立はありませんでしたが裏では当然差別がありました。サマワは当時もっとも国外に逃れる住人の割合が高かったと聞いたことがあります。すさまじい迫害があったからです。戦後は米軍に抵抗するよりサダム=スンニへの反感で「敵の敵は味方だ」という論理で米軍に協力すべしというファタワが出たともいいます。それゆえ自衛隊活動の候補地としては住民から協力が得やすかったのです。ワリードの問題はおのずと発生しています。彼はスンニだったのです。しかもバグダッド育ちの都会っ子でした。
シーア派地域ではシーアのガイド、スンニ派エリアではスンニのガイドが適切でかつ本人のためでもあったと思っています。管理人は南部シーア派エリアで活動するときはシーアの友人に協力を得ていました。
それでもワリードが避難先としてサマワを選んだのは長く住んでしがらみが多く、人間関係が硬直してしまったバグダッドよりスンニがごく少数で、かえって猟師の懐の「窮鳥」たりえたサマワのほうが、比較として安全だったのではということです。
覆水盆に返らず。ワリードは稼いだ全てを失った、それ以上かもしれませんが失ったようです。
ラベル:
管理人
2010年9月1日水曜日
ワリードが手記を書いています
ワリードが日本人と出会ってから17年になります。湾岸戦争直後からイラク入りし活動していたNGOの貴重な協力者でした。その頃のイラクでは日本以外でもかぎられたごく少数のNGOしか関心を持たず活動をしていませんでした。ワリードほど湾岸戦争後からイラク戦争、そして今にいたるまで日本の市民レベルと関わってきたイラク人はいないと思われます。湾岸戦争からの激動の時代のイラクを日本人との関わりを通してワリードが語ります。
ワリードは母国語ではない英語で原稿を書いています。和訳も素人のブログ管理人によるものです。これまで米兵からの暴行など口頭での話は聞いていましたが、そのまま書くことは躊躇していました。
ワリードは母国語ではない英語で原稿を書いています。和訳も素人のブログ管理人によるものです。これまで米兵からの暴行など口頭での話は聞いていましたが、そのまま書くことは躊躇していました。
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