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2015年11月20日金曜日

7:トルコ

ひさしぶりのトルコはすっかり変わっているようでした。そしてほとんど全て、街の通りからなにからイラクとは違って見えました。
アルビルからトルコの大都市イスタンブールまで34時間のバスの旅でした。
イスタンブールの到着は午後になりました。数時間で夕暮れでした。
わたしと息子はアカサラという難民受け入れセンターに来てみました。そこには100人ほどのひとたちが路上で寝ていました。イラク人、シリア人、アフガニスタン人、他の国籍のひとたちもいたでしょう。いくつかのNGOが来ておりとくに子供と女性向けの支援をしているようでした。多くの家族がいてたいへんな混雑ぶりでした。わたしたちが横になるスペースもないようで長旅で疲れ切った体を休めるためにホテルを探しました。どこも満室あるいは高額な料金のため長いあいだイスタンブールの街を探し歩きました。

6:故郷との別れ

生まれた国、愛しい家族を残して深夜の国境から去っていくことになるとはきょうその日まで想像もしませんでした。イラクがこのまま危険な地であれば戻ることもない、、つらい想像でした。
しかしわたしに選択はあったでしょうか。あのままイラクに残ればいずれ、遠くないうちに殺されるのは明白でした。
手続きが終わってバスがもう戻ることのないトルコへの道を走りはじめました。

5:トルコ入国と山本美香さん

アルビルでクルド商人と相談し山岳地帯の国境越えも検討しましたがISISメンバーと疑われる可能性もあり危険と判断しました。クルド当局は出入国に対して慎重になっているようで安全策としてバグダッドークルディスタンのノーマル航空券を購入することになりました。昨夜と同じ農家で一晩を過ごし、翌日航空券の提示でスムーズに国境を通過することができました。
国境を越えた側のアルカリールでトルコ側の手続きがありました。バスが停車しました。11年前にジャーナリストの山本美香さんとこの地に来ました。わたしの胸が痛みました。

4:トルコ国境越えで一悶着

翌日、国境まで乗り合いバスで向かいました。バスは満員で一時間ほどでアルビルの出国審査ポイントで降ろされました。国境の警官は航空券か許可証が無ければ通せないと言ってきました。クルド人商人からはそのような書類はいらないと事前に聞いていました。しかし警官は出国を認めてくれません。わたしはこのルートを手配したクルド商人に連絡をとりアルビルのバスターミナルに引き返すことにしました。

3:トルコ国境の町へ

真夜中にディアーラというのトラックサービスエリアに着きました。夜間の戒厳令のため道路はこの先封鎖されるというので駐車場で夜明けを待つのです。わたしたちは数時間の仮眠をとりました。12時間の長いドライブでしたがところどころ未舗装の道でトラックは何度も停車をしました。わたしたちはアルビル到着まで車外に出ることができませんでした。
アルビル到着後パーキングエリアにランドクルーザーがやってきました。トラックはここまででした。わたしたちはランクで郊外の小さな農家に連れて行かれ翌日まで不安な思いで過ごしました。

2015年11月19日木曜日

2:イラク脱出

8月8日、わたしは子供たちのうちの17才の長男ひとりを連れ、日没から数時間後の夜のバグダッドから北のクルディスタンを目指しました。
最初に乗ることができたのは大型トレーラーで食品用の冷蔵車でした。非常に暑い真夏の貨物車に乗るのは不可能でした。
バグダッドから北部のアルビルまでは国道をシーア派民兵がコントロールしており激しい戦いがISISとの間でおきています。スンニ派市民がこのルートを通過することは非常に危険で多くのスンニ派市民が殺されていました。
クルドエリアにはアラブ系イラク人は許可証がないと入れません。クルド人密輸商人は北のトルコ国境までのトラック乗車を約束してくれました。

ワリードからの手紙1:2015年夏イラクから脱出を決断

友人のみなさんへ。
この夏の突然の決断、イラクを脱出し北欧のフィンランドを目指しました。
イラクの治安は悪化しとくにバグダッドそして自分の住む村までも日々危険にさらされるようになっていました。
わたしの村では子どもから大人までの誘拐が頻発し、理由なき殺人、さらに不当な警察による逮捕、その後の音信不通。この一年の間に自分の二人の従兄弟、友人ひとりがそれぞれ別の地域で警官に拘束されました。そして今にいたるまで彼らの消息は誰も知りません。

イラクを脱出したワリード

ヨーロッパ諸国を目指す難民が続出した今年の夏、ワリードとその息子もまた国境を越えていました。
移動中のワリードとの連絡は不定期でしたが約一ヶ月前に北欧に到着、当面の受け入れ先収容施設の暮らしにも落ち着いたようです。
この数ヶ月間の彼のイラクから北欧フィンランドを目指した道のりをお伝えします。

2015年6月2日火曜日

バスラのトカゲ

砂漠にいるこのトカゲ、食べるとある種の効果があって人気だそうです。
ワリードは都会育ちなので食べたことはないと言っています。

2015年3月18日水曜日

最悪の年とは?

とあるイラク人によると今のISIS絡みの治安悪化よりも2006年が最も危険で最悪な年だったそうです。
あくまでバグダッド中心に住んでいたイラク人の感想です。
もっとも今も危険なことに変わりはありません。

2015年3月4日水曜日

悪化する治安と残してきた家族

家族からの連絡によると昨夜は迫撃砲による村への攻撃が激しくなり家を離れ農園で夜を過ごしたのだそうです。
そして朝からは警察が家にやってきて、それに加えて宗教私兵らによる家宅捜索(侵入)にも家族はおびえているそうです。





ワリードが現在いる南部もシーア派のスンニに対する敵対心が強まり、報復なのか見せしめのためなのか、町のあちこちでスンニ派住民の首がつるされているのを見るのだそうです。

2015年3月2日月曜日

イスラム国(ISIS)の余波

ワリードの住むバグダッド南部はイスラム国の拠点から遠く離れているのですが、安心もできる状況ではないようです。
スンニ派のイスラム国に対抗するためにシーア派民兵の活動が活発化しています。
ワリードの住む村はちょうどスンニとシーアの境界(北がスンニ、南はシーア)になるらしく両派がせめぎあうことになってしまいました。
つい先日も村人17人が拉致され殺害されたそうです。
ワリードは大家族を支えるため単身南部で出稼ぎしています。思うように家族の元に帰れずたいへん不安な日々のようです。

2014年7月4日金曜日

兵庫県議会見のインパクト

イラク人にも知れ渡り説明を求められました。

2014年6月25日水曜日

名もなき小さな村でも

ワリードの村はいまだミリシア(宗教私兵集団)に包囲されており、一昨日は村に侵入を試みたミリシアを何とか追い返したそうです。死者は出ませんでした。
しかし隣の村(アルダエリア)では40人が拉致されそのうちの数人の死体が見つかりました。ワリードのまだ若い学生の従弟が含まれていました。
まだ数人の従弟の行方がわからないとのことです。


*ワリードは日本のみなさまに無事と感謝を伝えてほしいとのことです。

2014年6月24日火曜日

イラク情勢

イラクの状況が悪化しています。
バグダッド郊外にいるワリード家族と5日ぶりに連絡がとれました。
ISISが勢力を強めバグダッドに近づいてきており、それに対抗するかのようにシーア派民兵がワリードの村を包囲している状況と聞いていました。

スレイマンからも無事の連絡がありました。スレイマンはバグダッド市内に住んでいます。

2012年12月8日土曜日

8年ぶりのスレイマン

イラク人スレイマンからメールが来ました。8年前に来日したことがありスレイマンを知っている方もおられるでしょうか。
彼は2006年頃の治安の悪化でエジプトに逃れたと聞いていました。
スカイプのアカウントを聞いて8年ぶりに話をしました。
彼と会ったのは2003年たしか5月、バグダッドのネットカフェでした。その頃は解禁されたインターネットがようやく出来るようになり市内のあちこちにネカフェが開店しはじめたころでした。電話とくに長距離電話のインフラが復興されておらず破壊した側のアメリカ兵もネカフェに来てイラク人と並んでいました。その行列でなんとなく会話したのがスレイマンでした。
スレイマンが帰国できるほどにはなったようです。
あのひと、このひとと名前をあげて消息を知りたがっていました。

2012年8月26日日曜日

R.I.P. Mika san 追悼、山本美香さん








 Mika san, Mika san was one of my best friend, i met with  her in 2003MArch before the war and since that time we kept good relationship, she visited my family several times, she know my wife and my kids.every body  like her,she was always smiling
 In 2006 May she took care of me when i visited Japan, I met with her family, father,mother,sister, and niece,her mother welcomed me in her house which locate  nearby The Fuji mountain
  No words can described Mika san kindness, she was like my sister, her lose cause a big hole on my heart, when i got the news of her death i got very bad feeling it was the same feeling when i lost my young brother in Sectarian war in Iraq2006
 my wife and kids feel so sorry for her lose

now her soul moved to the another world,and all human been will die, so, the only wish i have it is i can meet with her in eternal life
waleed


*ワリードは山本さんが亡くなる前日まで今回の取材に同行していました。
ワリードはまだトルコにいて数日後のフライトでイラクに戻るとのことです。

2012年2月4日土曜日

イラクで禁煙法

禁煙法が成立=罰金650円―イラク

時事通信 2月4日(土)6時12分配信
【バグダッドAFP=時事】イラク議会は3日までに、公共の場での喫煙に650円程度の罰金を科す禁煙法を承認、成立させた。役所や学校、病院、空港、 ホテル、劇場、レストランはもちろん、およそ人の集まる場所として民間会社の社内やガソリンスタンドでも「たばこ禁止」になる。