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2010年7月31日土曜日

酷暑のバグダッドと物価高

ワリードによるとガソリンが1リッター1ドルに値上がりしたとのことです。数週間で二倍近い値上がりで生活が非常に厳しいそうです。
戦前のイラクではガソリンは1リッター1円でした。当時は給与水準が低いので単純に比較して安いとはいえませんが食糧など生活必需品の配給があったりでなんとか生きていけたともいえます。
ガソリンが100倍に値上がりして収入も100倍になったのでしょうか。

2010年7月26日月曜日

気温53度!

スカイプでのワリードとの会話によるとバグダッドの気温は50度を突破したそうです。戦後からの電力事情はあまりかわらず停電は続いています。発電機は必需品で燃料のガソリン代が負担だそうです。

2010年7月20日火曜日

ワリードの悩み

ワリードが拘束された当時一歳だった次女は釈放時には三歳になっていました。
再会したときは、知らないひと!と大泣きされたそうです。
「もう3ヶ月たつのにまだ父親だとわかってくれない」
ワリードの悩みは尽きません。

2010年4月17日土曜日

カンパと弁護士費用

いただいたカンパは家族に送金(アンマンでワリードの友人に手渡し)し家族はその全てを弁護士費用にあてました。
総額で約6,000ドルの弁護士費用がかかりました。これについて弁護士など役に立たないのではないか?という疑問の声をいただきました。
連絡会では以前から直接弁護士に連絡をとり経過や様子について知るべきではという意見がありました。また費用の妥当性についても納得できるような情報も必要でした。
しかし前提として弁護士はワリードの考えで雇ったものです。こちらとしてはワリードの意図に沿って支援をするとすれば経済的に苦しい家族に協力して弁護士費用を送ることでした。
また6,000ドルというのは何人かのイラク人に聞いてみたところ兄弟3人分としては妥当ではないかということでした。しかし役人へのワイロに使われるとも指摘されました。しかし家族はイラク人ですがどの役所のどの役人にワイロを渡せば効果があるのかふつうわかるはずがありません。やはり手数料を取られたところで弁護士にまかせるしかないわけです。
弁護士との直接連絡は、外国人が支援しているとわかると足下を見られぼったくられる、という意見もあり、また弁護士は英語が話せないという情報もあって直接の連絡は控えました。
ほかにワリードと共通の知り合いでもあるアメリカ人女性キャシー・ケリー(ノーベル平和賞候補者)とも相談し国際赤十字人権委員会などにも頼りましたが具体的な結果は出ませんでした。あとでわかったことですがワリードも赤十字に手紙を書いていました。30万人とも言われる受刑者に対して支援する側は少なすぎたのです。
管理人:いその

2010年3月18日木曜日

パソコン

ワリードは以前パソコンを持っていました。
2年前に米軍が踏み込んできた際にパソコンが押収されたとのことです。パソコンだけではなく現金もとられたそうです。釈放された現在も返還されていません。
仮にパソコンがあっても村の家にはブロードバンド回線も固定電話回線もないためネットはできません。こちらのリクエストでネットカフェに行ってもらうわけにもいきません。

2010年3月13日土曜日

ワリード プロフィール

ワリード・ホマディ 
1969年農村で生まれバグダッドで育ちます。
モースル大学工学部卒業。軍役後技術者として数年間貿易省、住宅省に勤務。

1993年バグダッド郊外で救援活動中の日本人に偶然出会い、道案内をしたことからイラクの子どもたちへの支援を手伝うようになります。フセイン政権下での外国人は行動を制限されており活動は困難でしたが、ワリードの粘り強い交渉と機転により日本からのNGOの活動には欠かせない存在になっていきます。その後ジャーナリストらの通訳・コーディネイトにも活躍の場を広げ劣化ウラン弾被害の報道にも貢献します。
2003年のイラク戦争でも日本メディアに協力し戦火の状況を伝えました。
戦争でイラク共和国は崩壊しましたがワリードは引き続き日本からのNGO、ジャーナリストを受け入れます。
2005年自衛隊がサマワに駐留したことにより日本のメディアのサマワ常駐スタッフになります。2006年夏のサマワ撤退までワリードはサマワでのリポートを送り続けました。

ワリードは戦前・戦中・戦後と一貫して日本の個人と組織とつきあってきた数少ないイラク人でしょう。彼の目と耳を通しての言葉は彼の名前は出なくともジャーナリスト、NGOスタッフの声、リポートとして日本に届いています。
サマワでの日本メディアへの献身はワリードを危険に追いやりました。
外国への協力を理由に宗教武装グループから処刑宣告を受け家族までも脅されます。バグダッドの家を奪われ故郷の村に退いたもののそこは宗派間対立の戦場でした。
2008年2月25日深夜、アメリカ軍部隊がワリードの村に押し入りワリードと兄弟二人を逮捕します。
米軍の容赦ない取り調べを受けますがワリードには逮捕される理由がありません。取り調べの矛先は日本のメディアとの協力に向けられます。
罪をでっちあげられたワリードは2年間服役することになります。
兄を殺され両親を亡くしたばかりだった弟(当時17才)はワリードらの身代わりになり10年の刑期を言い渡され今も服役中です。イラクでは多くのひとが理由もなく逮捕されています。
ワリードは昨年2月苛烈な刑務所から生還しました。
イラクに関する報道が減っています。日本人は関心がなくなればイラクに行かないだけですみます。イラク人は危険でも安全でもイラクに居続けるしかできません。
ワリードは厳しい現実に翻弄される多くのイラク人のうちのひとりかもしれませんが、イラクと日本を友人として繋いできたワリードの言葉に耳を傾けてみてください。

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 ワリードは2016年8月、イラクから長男を連れて脱出しました。
現在はフィンランドの難民施設に滞在しています。

2010年3月10日水曜日

番組放送?

イラク議会選挙のために日本テレビ(ジャパンプレス)が来てワリードの釈放も取材しました。「その番組が放送されるから見るように」とワリードから連絡がありました。これまでもワリードが通訳やコーディネイトをした番組は事前に連絡があって見ることがありました。
それにしてもたいした奴です。何年も心身ともに尽くして家族まで巻き込んで脅しを受け、命はとられなかったもののその後米軍に捕まって、出てきたところで自分をニュースのネタに提供するのですから通訳ガイドのカガミです。

いつ放送するのかまではワリードに聞いても仕方ないのでネットで調べました。見つかりません。これまでのケースだと予告と報告があるはずです。もしかしたら放送したかもしれませんが、予想ではワリード個人の拘束と釈放ではニュースの価値がなかったと思います。どなたか「見た」という方はお知らせください。

2010年3月6日土曜日

ワリードと話しができました

ワリードとようやく電話が通じました。
体調は回復しつつあるそうです。家族とともに過ごしているそうです。
先日のヤヒヤとの電話は選挙カーのスピーカーの音がうるさくて会話が困難でしたが今回はいくらか話しができました。
一族の村には戻らずバグダッド郊外の農園に住んでいるそうです。ブログ管理人は1996年に訪問したことがあります。
ヤヒヤは別にバグダッド市内に住んでいるとのこと。末弟アリはスレイマニアで収容されており10年の刑を短縮させるためにこれから弁護士を探すそうです。
日本から送られた支援と心配の声にたいへん感謝をしていることを伝えてほしいとのことです。
逮捕の状況や刑務所での体験など聞きたいこともまだありますがワリードは近々コンピュータを入手するとのことなので仔細についてはメールでやりとりしたいと思っています。

2010年3月5日金曜日

その後の様子

ワリードはバグダッド郊外に滞在しているようです。周辺の状況は治安面でよくないようです。ワリードの友人がワリードと電話で話したところによるとイラクに留まるのは危険で脱出するべきだとのことです。
本日ワリードからメールが届きました。体調が悪いそうです。
多くのことを聞きたいしこちらから話したいこともありますが仔細についてはこれからです。

ヤヒヤとは電話が通じました。約3年ぶりに話しができました。
ワリードとの電話はタイミングが悪いせいかまだ繋がらずワリードの声を聞くことはできません。

2010年2月25日木曜日

ワリード釈放!

本日釈放されたとのことです。
イラク入りしている日本人ジャーナリストからの情報です。詳細についてはまだわかりません。
本人と連絡が取れ次第お知らせします。

2010年2月20日土曜日

釈放延期

本日釈放の予定でしたが2週間延期になりました。
家族によると書類は整っているが手続きが遅れているだけとのことです。
釈放予定はイラク議会選挙の直前になります。治安が混乱すれば悪影響になるかもしれません。

2010年2月12日金曜日

ワリード釈放まで一週間

友人のイラク人からの情報です。
先週ワリードが家族と電話で話しをしました。書類は揃い予定通り20日には釈放の見込みだそうです。
また弟アリは北部の刑務所に移されていますがやはり家族に電話があったそうです。

2010年1月18日月曜日

ワリード釈放予定

昨夜届いたメールによると、ワリードの釈放が2月20日と決まったとのことです。インシャラーとも書いてありますので油断はできません。それでもこれまで具体的な情報がなかったので一安心です。逮捕後丸二年がたちます。
ヤヒヤは長兄とは別の場所に住んでいるが元気とのことです。弟アリは刑務所が変わったが弁護士の努力によるところだそうです。日本からのカンパが役にたっているようです。

日本から直接家族に電話をしてもなかなか通じず英語もうまく伝わらないのでやはりイラク人を経由しての情報がたよりです。

2010年1月5日火曜日

状況

ワリードの家族との電話連絡は取れずヤヒヤとも話しはできていません。
12月中旬にワリードと刑務所で面会した友人のイラク人からのメールによると、ワリードは健康状態もよく3月に解放される見通しを持っているそうです。

2009年12月21日月曜日

ヤヒヤ解放

ワリードの兄、ヤヒヤが3日前に解放されたようです。今年5月の裁判で釈放が決まっていましたがその後ずいぶんと待たされました。以前釈放の誤報があったりしたのでできれば電話で本人と話しをしてみます。ワリードと弟アリの解放の見込み、何が起きたのかなど詳細がわかればお知らせいたします。

ヤヒヤはワリードとは違ってガイドの仕事をメインにはしていませんでした。2004年にごく一部のNGOの医薬品支援などの案内役をしましたが温厚な人柄で信頼されていました。
ヤヒヤと最後に話しをしたのは2007年の一月でした。当時、危険なバグダッドからワリード一家が脱出を試みていたころでヤヒヤにもシリアに逃げるように勧めました。しかしヤヒヤは当時バグダッド大学の最終年でもあり卒業をしたいし、「イラクが危険なことはわかっている。しかし自分はイラクの男だ。だいじょうぶだ」という会話でした。その後、路上で襲われ後遺症の残るようなケガを負ったと聞いています。彼はメールをしておらず通信事情次第ですがいくつかのルートで必ず連絡を取ります。

2009年12月18日金曜日

ワリード家族の状況

イラクの子どもたちの医療支援のためアンマンで活動していた「なかよくする会」の西村さんがワリードの家族と連絡することができました。

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ヨルダンから妹のKに電話をかけましたが、携帯電話のネットがないか圏外もしくは電源が入っていないというアナウンスが続きました。

相手の情況がわからないので、メッセージで「ヨウコがアンマンから電話をかける」と予告して、時間帯を変えて電話をかけました。3日目夜にやっと「ハロー」と返事が返ってくるものの、音が途切れるます。翌日、昼にかけなおすと音声もよく会話ができました。

妹の話では「一族で農場に住んでいる。兄の家族、ワリードの妻と子供、自分たちはそれぞれ家をもっている。同じ敷地内なので、いつも顔を見ているが、みんな元気である」「農場(イコール郊外)にいるので電話の電波が届きにくいのか?」と尋ねると「たぶんそうだろう」とのこと。「治安はよくなったが、電気水道などのインフラはまったくかわらない」と答えでした。「姉の子供は父親がすでに殺されているが元気に育っている(姉の夫はバクーバでシーア派に拉致され行方が知れない。2006年ころ)「ワリードとヤヒヤについてはなんの進展もない。ただ、待つしかない。詳しいことは長兄しかしらない」ワリードが2月ころに釈放されるかもしれないという見込みについて聞くと「具体的なことは明らかでない」日本人たちがみな心配していると伝えると「みなさんに心配してくれてありがとうと伝えてほしい」とのことでした。妹は高校生のとき、がんにかかっているが現時点まで元気そうなのでよかった。

2009年12月5日土曜日

ワリード釈放の期待とイラク議会選挙

ワリードは「来年2月前後に釈放される」との期待を持っていると、面会した家族からの情報が数ヶ月前にありました。その理由は今年初めのイラク首相の「刑務所収容者は一年以内に解放する」との発言です。

ここしばらくの報道やイラク人からの情報によると来年3月にひかえた議会選挙を前に政治的な混乱がおきているそうです。

マリキ首相が安定した政治運営を行えるのか、あるいは解放発言自体がリップサービスで実現の具体性が欠けていたものなのか不安材料があります。

また現体制はシーア派主流でありワリードはスンニ派です。

バスラの友人の情報では釈放のニュースをテレビで見た程度で具体的な数字はわかりません。かりに一日に100人釈放されたとしても一ヶ月で3万人です。30万人以上という収容者数からすると相当な日数がかかるでしょう。現に5月に釈放判決の出たはずの兄ヤヒヤがいまだに留置されています。

国民の不満をやわらげるために選挙直前に収容者の釈放するなどの動きを期待したいのですが現実は厳しいようです。

2009年12月3日木曜日

口座変更(予定)のお知らせ

いつもワリード支援のカンパにご協力ありがとうございます。現在の「アラブの子どもとなかよくする会」口座から年内をめどに新規口座に変更予定です。名義は同じく「なかよくする会」ですがワリード専用の口座になる予定です。現在ヨルダンで活動中の西村さんの帰国後12月中旬に新規口座をご案内させていただきます。

2009年12月2日水曜日

イラクへの連絡

このブログで当初に書きましたがワリードの家族への連絡は定期的にとっていましたが直接には困難でワリードの友人のイラク人に依頼し電話での連絡でした。この一ヶ月電話での呼び出し音がするものの電話に出ず家族(兄)との連絡が取れていません。そろそろ心配だと友人はメールしてきましたが日本からどうしようもありません。

2009年11月25日水曜日

イラク手作りカレンダー


アンマンで活動中の「アラブの子どもとなかよくする会」の活動をご紹介します。



昨年に引き続き、ヨルダンのキングフセインがんセンターで治療中を受けているイラクの子どもたちとその家族が手作りしたカレンダーができあがりました。

今年は、らくだのマスコットのついたウォールポケットに、イラクの子どもたちの絵入りのカレンダーが入っています。(300部限定)皆様からのご注文を心よりお待ちしています。

カレンダーのご注文・お問合せ:

afaq@zav.att.ne.jp またはyokon315@hotmail.com 

(12月10日以前到着ご希望の方は、後者へご連絡ください。)

ご希望のカレンダーのウォールポケットの色と数量、お名前・送り先(住所、電話番号)をお知らせください。

振込用紙を同封いたしますので、カレンダーが到着したら、代金と送料のお振込みをお願いします。(5000円以上送料無料)

1130日までにお申込いただいた場合、1210日頃までに宅配便・メール便にてお送りします。

お急ぎの場合はご連絡ください。また、品切れの場合はご容赦ください。

<らくだのマスコットつきカレンダー> (横 15センチ x たて 27センチ)  一部1000円

日付は、日曜日始まりで、日本の休・祝日にあわせてあります。

月名は、イラクの言葉アラビア語と日本語で書いてあります。

ウォールポケットの色は黒、えんじ、紺、茶、オレンジの5色です。

製品はすべて手作りのため、布の色やデザインが写真と若干異なることがあります。

まだ夏まっさかりのうちから、マハムードは「来年の動物(干支)はなに?」とカレンダーの絵をかき始め、幼稚園で英語を習い始めたシャヘドやセイフは日付を書くのに大はりきりでした。(算用数字は英語の授業で習うのだそうです。)「絵をかいたことがない」というオスマンはお父さんと一緒に鳥の絵を、4歳になったムハンマドははじめて「かお」をかきました。

「オム・ジャマル(らくだの母さん)」こと、ムハンマド君のお母さんが一人で300頭のらくだのマスコットを作り、そのそばで、ムハンマド君のお父さんが300枚のウォールポケットを縫いました。

ミシンと編み物が得意なアリくんのお母さんがポケットのふち縫い300枚と壁にかける紐300本を編み、17歳のイスラムがひたすら三つ編みをしてらくだの尻尾300本を仕上げました。

アファーク・プロジェクトに参加する7つのイラク人家族が作ったカレンダーです。ご注文をお待ちしています。(収益は、参加家族で分配し、ヨルダンで、治療中に必要な生活費などとして役立てられます)

西村陽子