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2016年1月30日土曜日

イラクの砂嵐

2003年5月。沖縄平和市民連絡会メンバーと。
アンマンから支援物資を積んでバグダッドに向かうところ。
米軍が恐れ戦争集結を急がせたという砂嵐。
バグダッド到着は戒厳令をとうに過ぎた深夜。バグダッドのど真ん中で米軍に止められサーチライトで照らされホールドアップ。戦後(?)一ヶ月でまだのんきな雰囲気でした。数ヶ月後だったら市民は不満だらけ、米軍はピリピリで無事では済まなかったかったかも。
バグダッドは電話局が空爆されまったく不通。ワリードに電話が出来ず。記憶をたよりにバグダッド郊外までタクシーで。
ワリードの住むニューバグダッドでは電話線が繋がっていて無事にワリードに再会。ワリードにさえ会えればミッションはほぼ達成したも同然だと思ったものです。

2016年1月24日日曜日

香港からのお客さん

日本で知り合ったそうです。
施設のFACEBOOKから。

ところで白い雪とアラブ人たち、、砂というイメージが強いので新鮮。

2016年1月23日土曜日

Young Waleed and us

1996年12月バグダッド。
日本で治療を受けていたサアド少年と家族。
左端がワリード。
ブルカ姿はアラブの子どもとなかよくする会の主宰者。

ワリードが紹介されました。

日本での難民申請をあきらめ、出国前に京都を訪れたイラク人のワリードさん=2012年6月、アジアプレス大阪の玉本英子さん撮影
 バグダッドでエンジニアだった彼は、得意の英語を生かし外国の支援団体やメディアで通訳ガイドとしても働いてきた。日本のテレビ局のイラク取材でも何度 も通訳を務めた人なので、彼の関わったニュースを見た人も多いと思う。私も以前バクダッドでお世話になったことがある。浅黒い顔と鋭い眼光だが、笑うと顔 をくしゃっとさせて愛らしかった。
 彼はいくつかの外国メディアに協力したとしてイラクの武装組織から殺害予告を受け、家に脅迫状が届くようになった。2011年、商用で来日したワリードさんは、そのままイラクに帰国せず、難民申請を行なった。
 私は東京までワリードさんに会いに行った。彼は「ダイジョウブ」と笑顔で言った。関東でうまくやっているんだと思った私は、それ以降、頻繁に連絡はしな かった。1年後、「来週イラクに帰ります」と突然メールが届いた。難民申請は審査結果が出ないまま何カ月もたった。支援などに支えられ生活してきたが、い つまで待ち続けなければならないのか不安は募り、帰国を決めたという。「日本の難民制度の壁は厚かった」。遠い異国の地、日本に暮らす彼の心情に思いを寄 せてこなかった自分を反省した。少しでもいい思い出を残せたらと、京都旅行に招待することにした。
 京都にやってきた彼をレンタル着物に着替えてもらい、私の友人の案内で清水寺などをまわった。「着物似合うてはるよ」。道すがら声をかけられた。バスの 席では、彼が座った隣のすき間に、おばちゃんがお尻を割り込んできた。それがうれしかったらしい。「中東系の顔をした僕の隣に座ろうとする人なんていな かったから」。先斗町のおばんざいの店では、お客さんが赤ちゃんを抱かせてくれた。イラクには幼い子どもたちがいる。彼の瞳は潤んでいた。
 いったんイラクに戻ったワリードさんは、カナダを目指すが途中で送還される。再度出国し、昨年9月、17歳の長男とともにトルコを経由してゴムボートでギリシャに渡った。そしてヨーロッパ数カ国を移動して、フィンランドにたどり着いた。
 いま彼は、町から離れた森の中にある難民収容施設に仮滞在している。町に出たとき、地元の男たちから侮蔑的な言葉を投げかけられ、不安に駆られたとい う。混乱に陥ったイラクでは命の危険にさらされ、庇護(ひご)を求めて難民になった先では厄介者扱いされる。「自分のせいでこうなったわけではないの に……」。ワリードさんの思いはイラク、シリアから命がけで脱出する人びとの共通の思いでもある。生まれ育った故郷を奪い、隣人関係を引き裂いた戦争は今 も続いている。
 まだバグダッドには妻と子どもたち6人が暮らす。フィンランドで言葉を覚えて仕事を見つけ、一緒に暮らしたいと願っている。<文と写真・玉本英子>

 ■人物略歴

たまもと・えいこ

 1966年生まれ。アジアプレス大阪所属。2001年からイラクに通い、内戦下のシリアも取材している。

2016年1月21日木曜日

湾岸戦争と市民運動

 キャシー・ケリーと活動については2011年に書いた記事をどうぞ。
http://savewaleed.blogspot.jp/2011/01/blog-post_24.html

キャシーと仲間たち

ワリードの左は長男。18才。すっかり大人になっていました。
最後に会ったのは12年前。幼稚園児でした。

長男の左がキャシー。

2016年1月16日土曜日

キャシー・ケリーとワリード

Voices for Creative Nonviolenceのキャシーがフィンランドに来てワリードに会ったそうです。

2016年1月14日木曜日

安田純平氏とワリード

安田純平さんからの消息が途絶えはやくも半年以上たってしまいました。
ワリードと面識がありました。
彼がシリア入りする前、ワリードに連絡をしてイラク入りのアレンジを打診していました。6月の上旬か5月の下旬でした。
当時のワリードからのメッセージを読み直し確認しようとしたのですがスカイプは4ヶ月くらいまでしか履歴が保存されていないようでした。なので正確な日時内容ではありません。
安田さんはおそらくトルコ経由でシリア入りが難しくイラク経由あるいはイラク内でISISの取材を試みたようです。
ワリードはすでにそういった仕事はしておらず断ったのだそうです。危険なのはイラクにはいる外国人だけではなく受け入れるイラク人にも及びます。
その後ワリードは連絡もなく安田さんの音信はやはりわからないままでした。
その頃もうひとり、やはりイラク入りをワリードに依頼してきた日本人がいましたが同じくワリードは断っています。

2016年1月9日土曜日

収容施設での新年

ワリードから新年のメッセージが届きました。
フィンランドの冬は寒く、暗く、町から離れた湖のほとりの施設ではふだんと何もかわらない日々だったそうです。

2016年1月4日月曜日

米、ビザ免除を厳格化=シリア訪問者ら適用外

先月の情報ですが、時事通信より引用です。
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米、ビザ免除を厳格化=シリア訪問者ら適用外
時事通信 12月19日(土)10時17分配信
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 【ワシントン時事】オバマ米大統領は18日、外国人旅行者に査証(ビザ)なしで90日以内の米国滞在を認めている「ビザ免除プログラム」の適用条件を厳格化する法案に署名した。
 2011年3月以降にシリアやイラクなどを訪問した申請者はプログラムの適用外とされ、通常の観光ビザ取得を義務付けられる。
 パリ同時テロやカリフォルニア州の銃乱射事件などを受けた措置。プログラムは日本を含む38カ国・地域の旅行者が対象になっている。また、ビザ免除の対象国が米国と対テロ情報の共有を怠った場合は、プログラムが打ち切られるという。

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